小説

『蟻と蟻』行李陽(『鶴の恩返し』)

「今夜も吹雪いてきそうだ」
 真っ黒な雲に覆われた空を見上げて、青年は呟いた。
 笠を目深く被り直して、家への帰路を急ぐ。
青年は町へたきぎを売りに行っていた。
 青年の両親は早くに他界している。しかし彼は両親が残した家を、たった一人で懸命に守り続けている。もちろん、生活は苦しい。
「おや」
 青年は立ち止まった。
 わき道の方で、なにかが動くのが目に留まったからだ。
 辺り一面、雪に覆われた銀世界の中で、何かが。
 青年は細めていた目を、まん丸に見開いた。
 途端に青年の顔つきが、素直で実直そうな少年の表情へと変わった。
「驚いたな。鶴じゃないか」
 体長一メートルほどの鶴が、地面でもがいている。罠に掛かったのだ。鶴が動くほど、罠は鶴の足を傷つけていく。
 その様子を見て、青年は心を痛めた。
 青年は鶴を驚かさないよう、
「おまえにも助けてくれるやつがいないんだろう。そいつが大変なのはよくわかる。だから頼りになる助けがないもの同士、お互い仲良くしようや、な?」
 と優しく語りかけながら、鶴に近づいた。
 鶴は警戒したように、青年をじっと見つめる。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
 そう繰り返しながら、青年は罠に触れた。苦心の末、どうにか取り除く。
「ほら、なんとかなった。手間取ったのには申し訳なかったが」
 青年は改めて鶴を見た。鶴もじっと青年を見つめ返す。
 青年は少し面映く感じながら、
「これで自由の身だ。これからは地面によく注意して歩くんだぞ」
 と言って、そそくさと本道に戻った。
 その頭上を、鶴が綺麗な羽を羽ばたかせ、飛び去っていった。

 少し吹雪いてきた。
 青年は顔をしかめながら、道を急ぐ。
 家はまだ遠い。
「おや」
 その道中、青年はふと立ち止まり、首を傾げた。
道から離れた木々の間で、何かが地面に横たわっている。
近づいてみると、案の定、身の丈一メートルほどの鶴だった。
しかも、先ほどの鶴に比べて、明らかにに弱っている。
偶然吹き付けた冷風に顔を背けなければ、見落としていただろう。
「こいつは大変だ!」
 青年は慌てて、鶴の罠を解いてやった。少し手馴れたなと青年は思った。
「だいじょうぶか?」
 心配顔で見守っていると、鶴は弱々しく立ち上がった。
「まったく。おれも人がいいな」
 青年は安堵のため息と共に、小さく苦笑する。
「おれだって毎日助けられるとは限らないんだから、気をつけるんだぞ」
 鶴は感情を窺わせない瞳で青年を見た後、一声上げ、力強い羽ばたきで空に舞い上がっていった。

「いったい今日はどうしたことだろう」
 青年は本格的に吹雪き始めた空を見上げた。
 足元には、元気に暴れる、立派な鶴の姿がある。
 前の二羽は助けたのに、こいつだけ助けないのも不平等だと青年は考えた。
「こら、暴れるな! 痛いだろう、もう……」
 青年は四苦八苦しながら、罠を解いた。
「慣れたものだなぁ」
 と、青年は嘆息して、罠を投げ捨てた。
 鶴はその間に、さっさと飛び去ってしまった。
「文句の一つぐらい聞いてくれてもいいんじゃないかな」
 青年はずれた笠を被り直して、帰路を急いだ。

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