小説

『いそうろう』冨田礼子(『一寸法師』)

 心臓が体より前にあるんじゃないかって気がするほどもどかしい思いで足を運び、帰ってきて、深呼吸してからそうっと鍵を開け「ただいま」と言ってみた。誰もいない部屋に帰ってきたときに靴を脱ぎながらつぶやくのとは違う声がでた。でも、いつもと同じで返事はなく、わくわくした気持ちが一気にしぼんだ。やっぱり出かけなければよかったと、なんだか涙が出そうなくらいがっかりしながら廊下を進みリビングの電気をつけた。すると部屋の真ん中で寝ていたタロウさんが目をこすりながら起き上がった。
 「あきれた」
 嬉しさがお腹の中からわき上がって、思わず口をついて出た言葉がこれだ。我ながら素直じゃないね。
 「おかえり」
 「あ、ただいま。って、部屋の真ん中に大の字で寝ているなんて、ちょっと大胆すぎじゃない、いそうろうさん」
 「どうせいるのバレちゃっているんだし、たまにのびのびしておこうと思ってさ。めしの心配もしなくていいんだ」
 そういうとタロウさんはちょっと笑い、立ち上がって伸びをした。
 「久しぶりに熟睡したよ。この部屋、なんでか居心地いいんだよな」
 一人暮らしを始めた頃から、遊びにくる友人たちにもよく言われたことだった。なぜか思った以上にくつろいで、帰りたくなくなる、ずっとここに住んでいる気がする部屋なのだそうだ。最近はあまり人がくることもなかったから忘れていたが、そういわれて嬉しかった。気をよくして、持ち帰ったお惣菜をあれこれ小皿にならべた。出かけているあいだ考えていたように、椅子になる高さのもの、テーブルになるものもあちこちからみつけだしてきて、ハンカチのテーブルクロスもかけた。
 「おいおい、いきなりそんなに気をつかわないでくれよ」
 タロウさんはあきれたように言ったが、かまわずうきうき支度した。
 「いいじゃない。私がしたくてしているんだから。この部屋に久しぶりのお客様なんだよ。いくら小さい人でもさ」
 思わず付け加えた小さい人っていうのは余計だったけど、彼はちょっと笑って、おとなしく席についてくれた。全部が思っていた通りの大きさではなかったけれど、とりあえず彼が抱えられるコップと、私もグラスにワインをついで乾杯をした。
 「そういえばさ、今日ちょうど話題になったんだけど、タロウさんみたいな人ってほかにもいるのかな?それとも、あちこちで意外に姿見られてる?」
 「え?なんでさ?」
 「映画館とかでさ、落ちてるポップコーン、拾っていたりする?」
 「うーん、それはおれじゃないなあ」
 タロウさんはそう言いながらも手は休みなく、小さく切ったテリーヌやラザニア、ポテトサラダとワインを嬉しそうに口へ運んでいる。
 「よかった、おいしそうに食べてくれて」
 私が思わずそういうと彼は手をとめてこちらをみた。
 「こんなふうに酒と会話ありの食事は久しぶりだな」
 私がとっさになにも言えずにいると、また小さな口を大きくあけてせっせと食べている。

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