小説

『いそうろう』冨田礼子(『一寸法師』)

 いつもよりていねいに掃除をしおえると、思いのほか時間がたっていて、もう、支度をして出かける時間だった。本当ならこんな日に、出かけないでいたいところだが、友人たちと待ち合わせ、半年も前から予約していた、人気のレストランへ行く約束があった。
 「ねえ、わたし、出かけるけど、ちょっと、どこにいるの。出てきてくれない。いるのわかっているのに、気持ち悪いじゃないよ。」
 さっき入っていった本棚のあたりから出てくるものと思っていたのに、どこからともなく、しぶしぶといったようすで現れた。
 「いちいち、なんだよ。今まで通り、ふつうに一人ぐらししてくれよ。」
 「いるってわかったからには今まで通りにはいかないでしょ。」
 「じゃあ、もう出ていくから。」
 「ふん、今窓あけていたあいだに出ていかなかったじゃない。」
 自分でそういいながらそんなこと思ってもみないでいたことに気がついた。
 「しっかり鍵かけてでかけたら、どこへもいけないでしょうよ。」
 強気に言い切った私の言葉に彼の眉毛がぴくりと動いた。考えてみれば、いつからともなく入り込んで暮らしていたわけで、彼には鍵なんて関係のないことなんだろうなと思ったけど、うちにいてほしくて、待っていてほしくて、わざとさらに強く言った。
 「いい、おいしいおみやげ持って帰るから、待っていてよね。聞きたいこと、いっぱいあるんだからさ」
 「話すことなんてないけどな」
 声は相変わらず小さいけれど、少しなめらかになったようだ。
 「そんなこと言わないで。だいたい、こっそり何日もひとんち住んでおいて、みつかったからまた黙って出ていくなんて、失礼よ。話くらい聞かせてもらいたいわ。」
 「そういう存在なんだけど。」
 彼はずいぶんとなさけない顔をしたが、言った。
 「はいはい、わかりました。待っています。いさせてもらいます。」
 「よかった。でさ、今、名前だけはきかせてよ。」
 とっさに口が開きかけ、目が宙を泳ぎ、ああーとちょっと考えたのか迷ったのか。それから私を見て、言った。
 「タロウ」
 本当の名前なのか微妙だなって感じだったけど、とりあえずいそうろうに名前がついた。
 「こないでよ、着替えるんだから」
 「のぞいたりしないって。」
 バタバタと支度しながら、やっぱりどこからか見ているんじゃないかと気になって、あちこちきょろきょろしながら手早く着替えた。約束をやめてうちにいることにしようかと何度も思った。でも、手や体は自動支度モードで進み、洗濯物を部屋の中に干しなおし、私は玄関で靴をはいた。
 どこだろうと、つい目でさがすと、あがりかまちに近い壁によりかかり、腕をくんでこちらを見ていた。
 「じゃあ、いってきまーす。」
 そう言って家をでるのはずいぶん久しぶりだ。思わず手を振るとタロウさんもつられたように手をあげ、照れくさそうな顔をした。
 本当に、帰ったときにもいてくれるだろうか。不安に思いながら、それでもできるだけしっかり鍵をかけた。もう一言、なにか言えばよかったかな。ちゃんとお留守番しててねとか、いい子で待っていてねとか。そりゃ、ちがうか。
 食事はおいしかった。久しぶりに会う、気のおけない友人たちとのおしゃべりも楽しんだ。でも気が付くと家でタロウさんが待っていることがフラッシュバックのように戻ってきてまつわりついた。何度も話してしまいそうになった。だけど黙ってもいたくて、恥ずかしい気もして、お互い一人身の気楽さの話題で盛り上がった。いってきますとタロウさんに言った時のくすぐったいようなほほえみが胸のあたりをかすめたけれど。

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