大人になるにつれ男の生き方は変わった。大見栄切って先導するのを避け始めた。
慎重になったのだ。親の死で唯一学んだ事だ。目立つ事で有益など何一つないと。
それは元来持つ素質に合っていたかも知れない。元来、男は賢い。それを発揮する境遇ではなかっただけだ。
態を潜め、身を隠す。息を殺して影の様に忍び寄る。そんな存在に求められるものなど知れた事だ。
気付けば一端の始末人。名など関係ない。いるのは確かな腕と、そこそこの度胸だけ。
もう自身でさえ自分の名前なんて忘れていた。いや、忘れようとしていたのだ。
一つの所に留まる事は許されなかった。それは定めだ。男が決めた事かも知れない。
流浪し幾つもの町を転々。一つの仕事を成すごとにだ。名も何も顔一つ覚えられない程度に。
町の誰かが消えたと同時に、影と同様に男も消える。記憶に残る。それは危機と言って過言ではない。
だが噂だけは広まるのだ。そんな影の様な男の存在だけは。
その港町に辿り着いたのは只の偶然だった。
海に向かい傾斜して連なる、素朴な石造りの家々。日中の強い日射しに煌びやかに輝く蒼い海が目前だと、やや寂れた印象だ。
ただ茜色の美しい夕暮を経てぽつぽつと建物の灯りが点くと、暗闇の湾に清楚な青白い街並みが現れる。
そして遠目に高台から灯台の光が、一筋の涙の様に差し込み夜空を横切るのだ。
ここに長居するなど毛頭なかった。何時もの流れだ。仕事を終えれば痕跡残さず消え去る。
だが、この港町の雰囲気は男に何処か懐かしさを覚えさえたのは確かだった。
その懐郷に似た潮風に促されて、ふらりと港側の酒場に。柄の悪い連中も多いが活気のある店。
流れ者に優しい街ではない。
ただそこの店で働く女だけは例外だ。
屈託のない微笑み。強面な男にも分け隔てなく接する女。拒否する理由もない。余り笑わない男でも、気恥ずかしさを込めて苦笑いで返すしかなかった。
一言、二言。それだけの交わしで安らぎを感じるのは、運命と勘違いしても致し方のない出逢いなのだった。
この港町からまた一人、誰かが消えた。
気を止める者などこの街にはいない。つまりはその程度の人間が消えたという事実だ。大事ではない。
その事実に、あの男がどう関わるのか。それを知るのは消えた本人と彼だけだ。