小説

『白紙の窓』和織(『窓』『計画』ボードレール)

 少女が部屋に籠るようになったのは、一ヶ月ほど前からだ。私の部屋から、その窓はちょうど文庫本くらいの大きさに見えて、その閉じた窓の中に、少女は存在する。ベッドに大きなクッションを置き、そこに吸いつくように背中を預け、一日のうちの殆どの時間を、少女はそこで本を手に過ごしている。少女の手元は見えないが、不思議なことに、私にはそれが白紙の本であることがわかる。どうしてそれがわるのか、説明はできない。少女を目にする度、だんだんと胸を締め付けられるような感覚が強くなり、いつの間にか、窓の中の世界が隙間風の様に私の中へ流れ込んでくるようになったのだ。
 少女が白紙の本を手にしているのは、その命が尽きようとしているからだった。少女は穏やかに、まるでもう何度もそれを経験しているかのように、終わることに対してなんの迷いもなく、日々を過ごしている。毎日白紙の本を開き、そこに、想い描く。
 少女は浜辺にいる。青い水着を着た肌に、海と白い砂によって膨らんだ太陽の光を受け、素足に砂の熱をじっくりと感じてから、海に入る。そこでは、少女は人魚にでもなったように自由自在に泳ぐことができる。深く深く潜って、カラフルな魚たちに囲まれる。そうして体中に絵の具をちりばめたような姿で、いつまでも泳いでいる。
 ページがめくられ、今度は、少女は映画館の中にいる。映画館は好きだけれど、映画は一人で見たい。だから少女は誰もいない館内の真ん中の席に、独りきりで座っている。スクリーンには、少女の見たいものだけが映し出されている。その音と客席の静寂が対峙する中で、ポップコーンとコーラと共に、いつまでも観賞を続ける。
 次のページには、ある男性が登場する。彼の顔はいつも、髪で隠されて見えない。少女より少し年上のその彼は、少女がいつか出会うかもしれなかった誰かだ。二人は、あるときは公園でピクニックをし、あるときは一緒に旅行へ出かけ、またあるときはコンサートへ行ったりする。彼と会った後、少女はいつも、夢の温度を冷ますように本を閉じる。少女はいつからか、殆ど彼に会う為に本を開くようになっていた。だから閉じた後には、咲いた後の花火のような気持ちになった。その光は消えずに、どこまでもどこまでも落ちていく。落ちていくことだけが明白な光。救いはない、と、少女は思う。救いがないのなら、どうして生まれてきたのだろう。これは、買い物に出かけたのに、何にも触れることができずに家に帰るような人生だ。あれも着てみたかった。あれも試したかった。自分は、そういう想いだけが積もった、ただの空間。そんなことを考えてみても、少女は泣くことすらできない。少なくとも白紙のページの中では、叶わないことを叶えることができてしまうからだ。顔がわからなくても、会いたい人がそこにいるからだ。
 目に見える星空は小さい。その窓から夕日を見ることは、残念ながらできない。どこへも行けないし、これから見つけられるものの数は、箱の中のプレッツェルの本数程もないだろう。それが本当、の筈なのに、どこで見るより大きくて綺麗な星空も、ピンクや青の混じった夕日も、自分の為だけの夜景も、山を真上から見下ろした紅葉の景色も、雪を積もらせたモノクロの木々も、少女は全て持っている。自分と会話をすればそれが友人になり、その友人といつかの約束をすることもできる。生きようと思えば、顔の見えない彼と、永遠に一緒にいることもできる。

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