小説

『さよなら、はじめまして』柿沼雅美【「20」にまつわる物語】

 それからまた私たちは16年も会うことはなかった。

 はじめて木塚さんに会ったのは、20年前、私が14歳になろうとしている頃だった。
 学校の延長のように塾に通っていて、別の学校の子たちが集まる塾は、学校があまり好きではない私には楽しい場所だった。受験のために通っているのに、友達と遊んでいる時間みたいだった。同じ学校の友達とはクラスが一緒でなく、私は別の学校の子と何人かでお弁当を食べたり帰ったりしていた。
 バレンタインの時期だった。友達が、塾のアルバイトの大学生に完全に片想いをしていて、何人かで作戦を練って、チョコを渡せるようにしていた。一人が別のクラスのチュートリアルが終わって部屋をでる大学生を呼び止め、階段を降りさせる。もう一人が下級生のいる階で待ち構え、声をかける。これで同学年の子たちに見られなくてすむ。そして私がそれを片想いをしている友達に合図を出し、大学生のところへ向かわせる。
 その大学生は思ったよりも人気があり、すでにいくつかのチョコを手に提げていたけれど、私が一番本気だから、と言った友達は、目をちゃんと合わせて、好きです、と言ってチョコを渡していた。大学生は、好きですの返事はもちろんせずに、ありがとう、と言ってチョコを受け取っていた。友達たちはキャーと言って階段を逃げるように降りて行き、大学生は、ほら気をつけて、と優しく言って帰りを促した。逃げ遅れてしまった私も帰りを促され、待って待ってと言いながら階段を降りた。
 いつもは使わない階段だったから降りると裏口側に着くのを知らなかった。表の入り口には、毎日アルバイトや塾長が立っていて、挨拶をしながら車道で事故に合わないように注意していた。
 裏口側には誰もいなくて、私は、裏に来ちゃったけどぐるっと表にまわれば友達はまだいるだろう、と思って裏口側から駐車場を横切った。そこで車から降りて来たのが木塚さんだった。
 木塚さんは私に、さよなら、と気さくに声をかけてくれた。私は、塾で見た事のない顔だったので、会釈だけした。木塚さんは、怪しまれていると思ったのか、ここの副塾長をしていること、普段は事務や保護者対応で中にいるからはじめましてですね、今は別の校舎に行っていてまだ仕事があるから戻ってきたんですよ、と優しく言った。そういえば事務の人たちはほとんどみたことがなく、生徒は入れない事務室にも大人がたくさんいるんだ、と思いついた。
 さよなら、と木塚さんと目を合わせた瞬間に、それまで感じたことのない、ふわふわとした、でも強烈な、私この人が好きだ、という感覚がした。顔がかっこいいわけではない、背が高いわけではない、とても友達にも言えないような、強い気持ちに、息が止まった。
 木塚さんは、そんな私には気づかなかっただろう、さよなら、と微笑みながら裏口のドアを開けて中に入っていた。
 さよなら、という別れの言葉のはずのひと言が、ずっと耳から離れなかった。
 翌日から私は、副塾長に会うために塾に通った。成績が上がれば目立って私に気づいてくれるかもしれないと思って、勉強をした。休み時間のたびに、忘れ物も質問もないのに事務室の前あたりをうろうろして、事務室前の廊下にある問題集の本棚で、内容を見ているふりをして問題集を持ったまま何十分も立っていたりした。友達には、一度、副塾長が、と言ってみたけれど、知らない見たことないよね、というので会話が終わってしまった。

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