小説

『やまなしの夜』星谷菖蒲(『銀河鉄道の夜』『やまなし』『押絵と旅する男』)

 水面に、何かがぱちゃんと落ちる音。飛び散ったしずくと、水の中まで届くぼんやりした橙の灯(あかり)が幻想的に揺らめいている。夜空の星が水底まで落ち込んで、きらきらと輝く銀河を描く。星々の光があまりにも眩しくなるので、強く目をこすった。

 気が付くと、ごとごとと揺れる列車に乗っていた。軽便鉄道の、小さな黄色の電燈が並んだ車室だ。青い天鵞絨(びろうど)を張った腰かけはどこもがら空きで、唯一埋まっているのはこの席と、向かいの席だけだった。向かいに腰かけているのは、濡れたように真っ黒な上着を着た子供だ。窓を開けて頭を外に出している。君、危ないよ、と声をかけようとしたところで、子供が頭を引っ込めた。頬をばら色に染めた、かわいらしい少年。目が合うと、にこりと笑った。
「おじさんはどこへ行くんだい?」
「私は――」
 少年に答えようとして、ふと気付く。私は、どこへ行くのだろう。どうして列車に乗っているのだろう。
「ねえ、それはなあに?」
「え?」
「それ、おじさんの隣にある、その包みさ」
 少年の指の先を見れば、黒繻子の風呂敷に包まれた一抱えほどのものが私の隣に立てかけられていた。長方形の平たい何かだ。持ってみると、軽くはないが重くもない。
「これは、私のものなのだろうか。君のものではないのかい?」
「おじさんは最初から、それを持っていたよ」
「では……私のものなのだろうね」
 両手に持ってまじまじと眺めていると、向かいの少年も興味津々に覗き込んでいた。
「気になるかい?」
「うん。僕、その包みの中身が知りたい」
「では、開けてみよう」
 風呂敷の固い結び目を解いて広げると、中には立派な絵が包まれていた。
 視界に飛び込んできた奇妙なキャンバス。極度の遠近法で、床と洋燈(らんぷ)が遙か向こうの方まで続いているような光景が、赤を主とした泥絵具で毒々しく塗りつけてあった。左手の前方には、墨黒々と不格好な西洋の縦に長い窓が描かれ、同じ色の西洋卓(てえぶる)が、そのそばに角度を無視した描き方で、据えてあった。

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