小説

『声の欠片』もりまりこ(『薄暮の部屋』)

 さっきから空に向かって声を放つと、落ちてくるのだ。部分でもあるような全部でもあるような欠片が。フローリングに寝っ転がって、そこら辺にあるリモコンや、赤いケトルや、クローゼットなどと声にしてしまうと、うっかり、そのままの体勢のまま、そいつに突き刺されて死から逃れるための競争に参加しなくてはならなくなる。
 だから、声を放り投げた時はあわてて、懐かしい香港映画のホイ兄弟みたいに、ごろごろとその場をローリングしなければいけないのだ。
 例えば、困ったもんだよと言ったとするでしょ。するとこの「もんだ」と唇が形づくる時には準備万端じゃなきゃいけないということですよ。逃げる体勢をですよ、わかりましたか? あなたの身体はそういうことになってるんですよ、と。まず心の引き出しのずっと奥の方でささやきながら、うっかり言葉をもらさないように覚悟を決めて、起き上がる。
 僕がもし、眠ったまま寝言を言ってしまったら、起きる前に刺殺されているだろう僕そのものに。
 声の欠片は、ただ凶器としてあるだけじゃない。
 エキストラヴァージンオイルを陽に翳した時にみえる、瓶の底で濃くたゆたうオリーブ色に似ていた。
これは僕を殺し損ねたフローリングに突き刺さったままのその鋭い破片を見ながら、あくまでこころの中で形容してみた。
こんなものが、僕の身体のどこかで精製されてるとは思えないぐらい、この欠片たちは、透き通ってみせたりする。

 僕は妻を探してる。いつから? ずっとだ。生まれる前からという言葉も浮かんだりするけれど、今、僕にわかっていることはそれが、きっとみつからないだろうという微かな予感だけだ。でも僕は妻を探すだろう、これからもずっと。
 陽が沈んで闇がすべてを包んでしまう一瞬の時間。マジックアワーがやってくると、僕は忙しくなる。部屋の壁や床や天井などに鋭く刺さっている例の声の欠片を取り除いてやらないといけないからだ。そっと、じゃないと折れてしまうから要注意だ。折れると、欠片の根っこがそこに残ってしまって、またいつやつらが息を吹き返すかわからない。一本抜くとそこには穴が開く。どれぐらいかというと、大家が眉をしかめて、敷金返すのどうしようかしらと、威圧の視線をよこしてくるぐらいぽつぽつと凹む。でもそれは抜いた瞬間の話で、暫く放っておくといつの間にか、ふさがっている。
 僕はそんな変化をみるにつけ、妻を思い出す。
 金属アレルギーだったから止したほうがいいよと、言ったのに妻はピアスを耳に埋め込むのが好きだった。でも、どんな高価な純金製のものでも、耳たぶを痛めてしまう。一度、我慢しすぎて誕生日のペリドットが、その薄緑色を朱
に染めてしまうなんてこともあった。
 ピアス穴が爛れてしまって、周りからは血が噴き出したいのに石にふさがれてどうにもならなかったのだ。

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