西の山の峰の池に、龍の棲み処があった。
毎日、龍は陽と共に空へ昇り、菩薩から命を受けて雲と雨を操り、夜になると再び池の底に帰っていくのだった。
天から役割を与えられているということ、ただそれだけが、龍にとっての歓びだった。だというのに、いつからこのような思いを抱くようになってしまったのか、龍にもわからなかった。
龍は独りだった。
龍は、寂しかった。
***
ある帝の代、龍苑寺(りゅうえんじ)という寺があった。山の頂にたつその寺は、かつては名を馳せていたが、今は廃寺となっていた。
さて、ここに一人の青年が居る。時節は春。ほのぼのあけゆく空の下、春霜を踏みしめながら山の頂を目指しているようだ。
陽の光が山に触れたとき、青年は頂に着いた。夜霧を遮るためにまとっていた覆いを解き、光の下に現れた姿は隅々まできらきらしく、鳥や虫、木々や草花までが、天に歓喜を伝えた。それは、金色の柱となって天に伸びた。
陽の光に溶けた春霜が葉からするりと落ちるころ、長いこと龍苑寺を眺めていた青年は柔らかく笑んだ。
「これなら、何とか直せそうですね」
青年の姓は琳(リン)、名は翠巒(スイラン)。彼は、天の祝福を受けた人間だった。
何をするでなくただ居るだけで人を癒すこともあれば、卓越した知識と技術で村一つを救うこともあった。
そんな彼がなぜ龍苑寺を訪れたのか、今となっては知る者はない。わかっているのは、彼が龍苑寺で多くの者に学問を教えていたこと。そして、彼の教え子達が後に、「金色の世」と称される時代を作り上げたこと。
大人達は専ら、この話を教訓めかして子供達に聞かせたがったが、子供達が請うのはいつも、もう一つの話だった。
それは、翠巒と龍の話。
龍が翠巒に出逢うところから、この話は始まる。