小説

『先生と龍』菊野琴子(『今昔物語集』巻第13「竜聞法花読誦依持者語降雨死語第三十三」)

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 西の山の峰の池に、龍の棲み処があった。
 毎日、龍は陽と共に空へ昇り、菩薩から命を受けて雲と雨を操り、夜になると再び池の底に帰っていくのだった。
 天から役割を与えられているということ、ただそれだけが、龍にとっての歓びだった。だというのに、いつからこのような思いを抱くようになってしまったのか、龍にもわからなかった。
 龍は独りだった。
 龍は、寂しかった。

   ***

 ある帝の代、龍苑寺(りゅうえんじ)という寺があった。山の頂にたつその寺は、かつては名を馳せていたが、今は廃寺となっていた。
 さて、ここに一人の青年が居る。時節は春。ほのぼのあけゆく空の下、春霜を踏みしめながら山の頂を目指しているようだ。
 陽の光が山に触れたとき、青年は頂に着いた。夜霧を遮るためにまとっていた覆いを解き、光の下に現れた姿は隅々まできらきらしく、鳥や虫、木々や草花までが、天に歓喜を伝えた。それは、金色の柱となって天に伸びた。
 陽の光に溶けた春霜が葉からするりと落ちるころ、長いこと龍苑寺を眺めていた青年は柔らかく笑んだ。
「これなら、何とか直せそうですね」
 青年の姓は琳(リン)、名は翠巒(スイラン)。彼は、天の祝福を受けた人間だった。
 何をするでなくただ居るだけで人を癒すこともあれば、卓越した知識と技術で村一つを救うこともあった。
 そんな彼がなぜ龍苑寺を訪れたのか、今となっては知る者はない。わかっているのは、彼が龍苑寺で多くの者に学問を教えていたこと。そして、彼の教え子達が後に、「金色の世」と称される時代を作り上げたこと。
 大人達は専ら、この話を教訓めかして子供達に聞かせたがったが、子供達が請うのはいつも、もう一つの話だった。
 それは、翠巒と龍の話。

 龍が翠巒に出逢うところから、この話は始まる。

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