小説

『花瓶少女』渕上みさと(『鉢かつぎ姫』)

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「上原さん、学校に余計なもの持ってきてはダメでしょ。」
 今朝、登校すると朝の会で隣の席の上原さんが担任に注意されていた。
「早く被っているものを取りなさい。」
「いいえ、出来ません。こうしないと母の体調が良くなりませんので無理です。」
 上原さんは、鮮やかな青の色被せクリスタルガラスに、カットを施した江戸切子の花瓶を被っていた。その表情はどうなっているのかよく分からないが、真っ直ぐと担任を見つめていることは分かる。
「お母様のことも大事だけど、上原さんは視界が悪くて勉強だって生活だってし難いでしょ。怪我でもしたら危ないわ。」
「これは我が家の宗教の問題です。誰にも信仰を止める権利はないはずです。」
 上原さんは先生と10分程口論し、1時間目が終わった後、体調が悪いといって、この日は早退した。江戸切子の花瓶を被った上原さんは、半年間その頭で学校に通った後、違う小学校に転校していった。母親が亡くなって、父親が再婚したという噂を聞いた。小学6年の秋、僕の初恋は去った。

 あれから15年、僕は時々上原さんを思い出す。僕はそのまま小学校を卒業すると、都内の中学、高校と進学し、大学まで東京の実家で過ごした。今も実家から会社に通っている。就職したら一人暮らしをしようとも考えていたが、上原さんが戻ってきたらと思い、今までズルズルと地元を離れられずにいたのだ。
 土曜日は気持ちの良い快晴だった。社会人も3年目を過ぎた頃から週末だからといって張り切って予定を埋めることもなく、ただぼんやりと時間を消化していた。
 正午過ぎに目が覚めるとまだ昨夜のアルコールが残っているのか頭痛がする。昨夜は小学校時代の同級生数人と小さな飲み会をしていた。そこで興味深い話を聞いた。
「なぁ、花瓶女って知ってる?」
「あぁ、小6の時の上原さんの話?」
「いやいや違うんだよ。都内でガラスの花瓶を被った女に会うと幸せになれるってtwitterで話題になってるんだよ。」
「え、それ上原さんかな?」
「さあ、どうだろうね。上原、花瓶を被るの宗教だとかなんとか言ってたよなぁ。本当にそんな信仰あったのかもな。」
 僕の胸は高鳴った。上原さんがこの街に戻っているのかもしれない。武史に言われるままスマホで検索すると“#花瓶女”は僕の友人達の間で話題となっていた。出没スポットは、東京、渋谷周辺から徐々に東急東横線沿線になっている。僕の地元の方に近づいているではないか!上原さんかもしれない。花瓶女の話は僕だけが知らなかったようだ。そのあと、僕たちがどんな会話をしていたかあまり記憶にない。適当に相槌し、その日の会は午前3時まで続きお開きになった。

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