小説

『花瓶少女』渕上みさと(『鉢かつぎ姫』)

 母がまだ寝ているのかとドアをノックしてきた。時刻は15時半になるところだった。僕は居心地悪さを感じ、身支度を済ませると部屋を出て、僕らの小学校へ向かった。校庭では子供たちがサッカーをして遊んでいたが、夕方になるとみんな帰って行った。校庭に誰もいなくなると辺りは真っ暗になっていった。僕はなんとなくスマホで花瓶女を検索した。今日は出没情報が見当たらない。フッと僕は大事なことを思い出し、小学校の校庭を離れた。

 母は病気だった。病院へは毎日お見舞いに行った。日に日に弱っていく母。私は父が他の若い女の人と仲良くなっていくのが許せなくて顔も見たくなかった。小学校の頃の話だ。小6の時、隣の席の上野くんは家も近所でいつも一緒に帰って面白い話を聞かせてくれた。多分、私を元気づけるつもりだったのだと思う。
「上原さんは勉強ができていいよね。僕、今日のテスト全然ダメだった。」
「上野くん、授業中にぼんやりしているからよ。ちゃんと黒板みて先生の話を聞いていれば簡単だわ。」
「黒板見ていると頭が痛くなるよ…。毎日難しいこと書いてある黒板見ないで、好きなものしか見なくていいメガネとか出来ればいいのに!」
「好きなものしか見なくていいメガネか…それいいわね。上野くんらしいわ。でも、そういうのバーチャルリアリティって言って近い将来、見たいものがみられるメガネが出来るかもしれないのよ。」
「え、そうなの?いつ頃?」
「うーん、15年後くらい?」
「えーそんなに先か。学校卒業しちゃうよ。」
「案外15年なんてすぐよ。15年経ったら私たちどうなっているのかな。」
「27歳だろ、すごい大人だよ~。」
 私は、この時の上野くんの話を聞いて、母の好きな花瓶を被ることに決めた。父の顔もあの女の顔も見えない世界。母の好きなものの空間に入れる世界。この世界は半年だけ続いた。母が死に、父が3か月後に再婚し引越が決まった。その引越当日、上野くんが家に突然やって来て、私の花瓶を割った。

 上原さんは、昔自分の家だった場所の児童公園にある大きな桜の木の下にいた。
「上野くん、お久しぶり。忘れていると思ってた。」
「上原さん、ごめん。忘れてた。」
「やっぱり。」
 上原さんは、くすくすと笑っていた。その笑顔をみて昔のことをはっきり思い出した。
「上原さん、僕がきみの大事な世界を割ってしまったから今まで連絡くれなかったの?」
「ううん、違うわ。花瓶の呪縛から私を救ってくれたのは上野くんだわ。感謝してる。」
「よかった、ずっと気にしていたんだ。僕がきみの大切な花瓶を壊したこと。嫌われたかと思っちゃった。」

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