小説

『ビーフジャーキーと猫』広都悠里(『七匹の子ヤギ』)

 今はどこにいるのかわからないおかあさん。
 会いたい?と聞かれたらわからない、と答える。
「だってもう忘れちゃったし」
 それは嘘。
 だけど嘘も何度も言い続ければ本当になる。
 忘れちゃった、ずっとお出かけしていたからあんまり会っていなかったし。 
「もう、覚えていない」
 本当はいつまでも消えずに残っている。
 別に消えてくれてもかまわないのに、なぜかしつこく覚えている。
 その姿はいつまでも私の中のすみっこにはりついている。
 顔はぼやけてよくわからないけれど、明るい茶色の髪をかきあげる細い指、いらいら歩きまわる足、爪は桜色に塗られていてきらきら光る粒がはりついていてすごくきれいだった。さっさと忘れてしまえばいいのにどうしていつまでも消えずに残っているのだろう。たいして大事じゃないのに、古いというだけでなんだか捨てられずにずうっと残っている写真、そんな感じ。

 オレンジっぽい縞を持つ茶色の猫になったあたしは優しく撫でられる。食べ物も簡単にもらえる。イケメン男子に抱きかかえられる。ほらね、やっぱり猫の方がいい。
 バイト先では目が合うだけでどきどきして、ちょっと話ができるだけで十分だった望月隼人の家にだって、出会ったその日に簡単に入ることができた。
 ごはんをもらって頭を撫でてもらって温かい布団にいれてもらえる。やだな、と思えば腕の間からするりと抜ける。
「チェリー」
 その呼び名はあたしの元の名前と少し似ている。
「なんか、そんな感じだから」
 そう言って隼人は頭を撫でながら、深呼吸を一つしてとても真面目な顔で「チェリー」と呼んだ。
「にゃあ」
 あたしも真面目に返事をした。オーケー、その名前で良いですよ。
 あたしは隼人の飼い猫になったのかどうか、よくわからない。

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