小説

『夢のあと』篠崎亘(『山男の四月』)

 彼は、ベッドにあおむけになって、ふとんにくるまり、かすかな寝息をたてていた。
 透きとおるカーテンから斜めに射しこむ朝陽は、部屋のほとんどを琥珀色に染めていた。部屋の空気はひんやりと、無音ではないにしても秩序だった静けさにつつまれていた。そのなかで家具たちは、それぞれじぶんの持ち場におとなしくおさまって、タバコで黄ばんだ壁紙に沿って色のうすい影をひかえめに伸ばしている。
 すると、その静けさがふいに、なかば乱暴にやぶられた。ベッドの横にある机が突然ふるえだしたのだ。机はふるえるだけでなく、警告するような電子音まで出しはじめた。しだいにふるえはひどく、音は大きく、騒々しくなっていく。
 ピピっ、ピピピッ、ピピピッ、ピピピッ!ピピピッ!ピピピピッ!ピピピピッ!
 彼の腕だけが、まるでなにかにあやつられているかのようにうごいて、机の上にあるケータイをつかみ、画面を見もせずに指だけでアラームをとめた。すると机のふるえはおさまって、騒々しい音もやんだ。役目を終えた腕はケータイをはなすと、そのままだらりと力をうしなって、ベッドの縁から床へ垂れさがったままになった。
 ふたたびこの部屋に静けさがもどってくると、そのせいか日頃は気にもとめないささいな音が際立ってくる。壁にかざられた五分おくれの時計の秒針が、たとえほんのわずかでも、たしかに時間が過ぎさっていることを右回りの行進で正確にしらせていた。ドア一枚へだてたキッチンのほうでは、冷蔵庫が始終モーターをうならせていた。ときどき蛇口についたしずくが落ちて、ステンレス製のシンクを小気味よく叩いていた。床下や天井裏の建材がひとりでに軋んだり、外からは、小鳥のさえずりや、彼のアパート前の道をクルマのタイヤが摩耗しながら走っていく様子が、遠く地平線の彼方からただよってくるように聞こえてくる。
また、ケータイのアラームが机をふるわせて鳴りだした。ピピっ、ピピピッ、ピピピッ。彼はすぐさま反応して身をひるがえすと、瀕死の動物にとどめを刺すように、音が大きくなる前のアラームのスイッチをすばやく切った。それからベッドへうつ伏せにゆっくり沈みこみ、そのままうごこうとする気配をみせないで、うすく開かれていたまぶたをふたたび閉じた。けれど、すこしだけ目の覚めた彼は、ぼんやりとなにかしらのことを考えていた。
(はやく起きなくちゃ はやく起きなくちゃいけないぞ なにか食べなくちゃ 起きてなにか食べなくちゃ 顔がつめたい なんだか腕がしびれてるようだぞ)
 そうしてしばらくベッドへうつ伏せになって枕に顔をうずめているうちに、外が人々のうごきだした朝の活気でにぎわいだしているのを、彼はなんとなく耳にいれていた。
(おれもはやくあのなかへ入っていかなくっちゃ まずはなにを食べるかだ ごはんか、パンか ごはんは腹もちがいいけれど、食べるのに時間がかかるんだ)

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