小説

『私だけのエナメル』柿沼雅美(『赤い靴』)

ツギクルバナー

 机に頬杖をつきながら、この人は一体何が楽しいんだろうなぁと、由実は思った。キャリアカウンセラーに紹介されて教壇に上がったOGは、2年目となった営業事務の仕事内容について、声に力を込めて話している。それが緊張によるものなのか、仕事が本当に素晴らしいと伝えたがっているのかが分からない。週休2日なので土日にはゆっくり友達とランチに出掛けたり家族とテレビを見たりしてすごしています、と休日の過ごし方を紹介していて、今日は金曜日だから笑顔も出やすいのかな、と思った。
 この授業後に提出しなければならないリアクションペーパーには、実際に卒業されて生き生きと頑張っている先輩を見て就職活動に関する意識が高まり、営業事務という職種の大切さに気がつきました、と、自分の住所を書くのと同じくらい何も考えずに書いた。
 熱心にメモを取るように見せかけて、ノートにはアイドルの曲の詞を真似たようなものを書き、まわりに気づかれない程度の音で、持っているシャーペンに親指でトントンと触れてリズムを探した。
 数分して指を止め、何をやっているんだろう、と思った。私は今まで、何をしてきて、一体何をやってきたんだろう、と思った。それは疑問ではなく、何度も繰り返している焦りと、自分自身への諦めが入り交じって、口の内側を噛んで我慢してみても涙が出てきそうで、滲んだ涙は視界の下方向を歪めた。

 「ただいまー」
 マンションのドアを開けるとちょうど、母親がタオルで髪を拭いて出て来たところだった。おかえり、と言った母親のあとで、リビングから父親の声も聞こえた。
 テーブルの上には、私の分の肉じゃがとお味噌汁とほうれん草の胡麻和えとお刺身が並べられていた。母親に、髪の毛乾かしてきていいよ、と言うと、ごはん冷蔵庫にあるから食べてね、と言ってくれた。
 レンジにお茶碗を入れて、1分のボタンを3回押した。
 「今日は遅かったのに食べてなかったのか」
 そう言う父親の後ろの壁掛け時計を見ると22時になろうとしているところだった。
 「うん、今日は友達とお茶してしゃべってたら食べ損ねちゃった」
 「なんだかなぁ、まぁ楽しそうでなにより」
 父親はソファから立ち上がり、携帯を充電器にさし、リビングに面した引き戸を開けた。
 「お父さんもう寝るの?」
 レンジがピーと鳴り、熱くなったお茶碗をふきんで包むようにして取り出した。
 「急に明日も仕事になっちゃってさぁ。お前は休みなのか?」
 「うん、休みだけど、お母さんがどこか買い物行くならついて行こうかな」
 お茶碗のラップを取ると、もわっとした蒸気が鼻に吸い込まれてきた。

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