小説

『月とかぐや姫』夢野寧子(『竹取物語』)

「メモくらい貰ってあげればよかったのに。本物のかぐや姫みたいだよ」
 あんな意地悪を言わなくても、無視するか、メモを貰うだけ貰ってすぐに捨ててしまえばいいのに。わざわざ相手の気持ちを抉るような、試すようなまねをする必要なんてない。仮にも自分に好意を持ってくれている相手なんだから、それくらい配慮したっていいはずだ。そう思ったから、思わず窘めるようなことを言ってしまったのだけれど、どういうわけか、わたしの言葉に目の前の作り物めいた綺麗な顔が強ばった。
 わたしや友人がかぐや姫とかぐやを比べると、大抵かぐやは嫌そうに眉をひそめるか、唇をつんととがらせて怒ったふりをする。けれど、その時は少しだけ様子が違った。
「ツッコはさ。わたしがあいつと付き合えばよかったっていうの?」
 かぐやの声は震えていた。下唇に白い前歯が立てられ、赤みが増していく。鞄の紐を掴む手は、不自然なほどに力んでいた。
「わたしのことなんて何もしらないくせに、顔だけ見て、好きとか、付き合ってくれとか言ってくる奴と付き合えって言うの?」
「そう言うわけじゃないけど……あんなこと言わなくてもよかったんじゃない?」
「じゃあどう言えばいいのよ。気持ちは嬉しいけど、あなたとは恋愛できないから無理って言えばいいわけ?」
「そんなの付き合ってみなきゃわからないじゃない」
 季節が変わるにつれて、日が落ちるのも早くなってくる。もしもあの日、あの時、わたし達を包んでいたのが夏の夕暮れだったなら、俯いてしまったかぐやがどんな表情をしていたのかきっと見えたはずだ。でも、実際あの日は夏ではなかったし、太陽はとうに沈んでいて、かぐやとわたしの間に横たわるのは群青色の夜だった。
「ツッコは何もわかってない」
「……ごめん」
「わたしが何に対して怒ってるかもわからないくせに謝らないで。ツッコにはわからない。誰かを本気で好きになったことなんてないんでしょ」
 何故、突然かぐやが怒り始めたのか、わたしには見当もつかなかった。羨望やちょっとしたひがみをこめて、もてるかぐやをからかったり、窘めたりすることはよくあることだった。いつもの会話と、先ほどの会話の何が違うのか、わたしにはわからない。わかったのは、頬を打つ風がどうしようもなく冷たいということと、かぐやの握りしめられた拳が戦慄いているということ、それだけ。
 風船が破裂するように、感情を爆発させたかぐやに、わたしは驚き、戸惑った。しかし、当のかぐや自身もまた、自分の出した声の大きさに驚いているようだった。かぐやがわたしを拒絶したのは一瞬だった。はっとしたように顔を上げると、かぐやは切れ長な目を丸くして、耐えるように唇を噛んだ。縋るような視線に胸がざわめいて、今度はわたしが俯く番だった。

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