SOMPO認知症エッセイコンテスト

『あら~、びっくりぽんや!」世界でたった一つしかない小さな物語』ランベール・ケイ

「あら~、びっくりぽんや!」
 これは認知症が進んでいた祖母が排便コントロールが効かずに、初めて食卓の椅子の上で排便してしまったときの言葉だ。
 この何ともポジティブな、愛らしい反応。この日を境に、私たちの中で何かが変わっていった。

 父方の祖母、伊佐子は大正、大阪生まれ。非常に頭がキレる人で、85歳ぐらいまでは何でも一人でテキパキこなし、教養があり、更に大阪人らしくユーモアたっぷりの人だった。
社交的で83歳まで絵画教室に通い、幸せな人生を歩んでいると思われていたが、実は昔は大変苦労人であった。祖父は若い頃に突然失踪。伊佐子は乳飲み子も含め3人の子供を抱えて親戚の家を転々として上京、懸命に子育てと仕事に勤しんだ。

 長男である父、徹は、伊佐子とは特別な関係を築いた。不撓不屈の精神を持つ伊佐子を尊敬し、時には祖父の代わりに伊佐子の相談に乗り、伊佐子を喜ばせるために勉強を頑張り、伊佐子が苦労した分、空いた隙間を幸せで埋めたい気持ちが強かった。そのため徹は大人になってから2世帯住宅を建て、私の母、博子と協力し合い、伊佐子を支えていた。伊佐子と博子は全く違う性格だったが、幸い実の親子と間違えられるほど気が合い、周りの人達から羨ましがられるほどだった。

 ただいくら家族間がうまくいっていても、介護はそう甘いものではない。

「最近排尿コントロールができないらしく、しょっちゅうお漏らしするのよ」
 と、博子はここのところ毎日イライラしながらお漏らしの後始末に追われていた。 当然ながら在宅勤務で義母の介護をするというとは体力的にも精神的にもしんどい。孫である私は、

「オシメにしたら良いじゃん。お互いのためだよ。頑張り過ぎたら長続きしないよ」と諭したが、博子は断固として反対した。
「でもねぇ、オシメにするとトイレに行かなくなり、歩けなくなるのよ。歩かなくなったら脳の衰えもどんどんと進んでしまうの」
 博子は30年間一緒に過ごしてきた義母の将来を思うと、安易な選択することができないとためらいがあったようだ。

 そんなある日、ちょっとした事件が起こった。
 食事が終わり、ソファーに移ろうとした伊佐子を見て、博子が突然、
「お義母さん!出ているよ!」と声を張り上げた。
 そこにはまるで漫画に出てきそうな便が、伊佐子の椅子の上にちょこんと乗っていた。とうとう排便コントロールができなくなってしまったのだ。
 特に徹にとっては受け入れることが難しいだろう。
 尊敬している偉大な母親が赤ん坊のように椅子の上で便をしてしまうなんて、母の姿ではない。

 ただこれが現実で、実際に目の前で起きたこと…徹は耐えられない様子で歯を食いしばっていた。
 私は内心、「だからオシメって言ったのに」と思い、ため息をついてしまった。

 ところがそんな重い空気を跳ね除けるように伊佐子はこう言い退けた。
「あら~、びっくりぽんや!」

 このたった1つの文章で、一瞬にして家族に笑いが、そして本来の生活が戻ってきた。

 ここ2年ぐらい、本来あるべき「伊佐子との暮らし」ではなく、みんな知らぬ間に「祖母の介護生活」という義務感だけで生活していた。
 しかし「びっくりぽん」効果で、かつての伊佐子の笑いセンス、ユーモアなどが一瞬で思い起こされて、やはり伊佐子は伊佐子なのだと実感したのだった。

 こうして伊佐子と私たちは「人間らしい」対等な関係へと戻っていった。
 それは「祖母の介護生活」という一般的な言葉で片付けられてしまうものから一変して「伊佐子との暮らし」という、世の中でたった一つしかない、ちょっと不思議な物語を紡いでいこうと、家族全員が思ったのだ。

 ちなみに、伊佐子の性格から考えると、10年前だったら今の自分の姿を到底受け入れられないだろう。
ただ伊佐子は昔から卑怯な真似を嫌い、現実と向き合ってポジティブに解決策を見つける人だ。

 これらのことを全部ひっくるめて、自然に選んだ言葉が
「びっくりぽんや!」

 だったのだろうと、私は思う。

「さすが伊佐子おばあちゃん。敵わないな」
 と、この話を思い出すたびに、くすっと笑ってしまう。
 そしてこの血を引いていることに、私はなんとも言えない安心感を覚えてしまうのだ。