SOMPO認知症エッセイコンテスト

『天国のおじいちゃんへ』沖村里枝

私の曽祖父は3年間在宅介護の末、十六年前に他界した。
当時、私は高校生で、大腿骨骨折を機に寝たきり生活、そして、食事も少量となり、ついに経管栄養をしている姿がとても怖かった。
そして、大好きだった曽祖父が認知症の影響からだんだんと暴言が増えていった。
私は、高校生活、部活が忙しいからなどと言い訳に曽祖父の部屋へ入る事はほとんどなかった。私の母は、初めての介護に戸惑いながらも(毎日三食の)経管栄養や定期的な体位交換をし、忙しい日々を送っていた。
その中でもヘルパーさんが入浴解除に来てくれた時、最初は曽祖父も拒否するが、最後はきまって「ありがとう」「裏の畑にある野菜をもって帰って」とお土産を渡そうとしたと、母は嬉しそうに私に話をしてくれる。母にとって入浴介助のヘルパーさんや何でも相談できるケアマネージャーさんの存在はとても信頼できる人達だった。
そんなある日、曽祖父が在宅で急変した。私が部屋に入ると、目を閉じたままの姿だった。
私は声かけの仕方等も分からず、ただ立ちつくすだけだった。それは日頃のコミュニケーション不足がまねいた結果だった。
私は悩んだ末、高校3年生の秋、地元の介護福祉士の国家試験が受験し、取得できる専門学校への進学を決め、春入学した。おじいちゃん子だった私が少しでも困っている方をお手伝いし…急変した時に対応できなかった後悔もあったからだ。無事卒業して、特別養護老人ホームで実務経験をつみ、ケアマネージャーを取得、当時職場だった利用者さんのお孫さんの今の主人と結婚した。今思うと、おじいちゃんから頂いた縁だと思います。
現在は幼い子供2人の子育中だがいずれまた介護の仕事がしたいと考えています。
その際には母を支えてくれたスタッフ(ヘルパーさんやケアマネージャーさん)のようになりたいのが今の目標です。