「咲さんは帰らないんですか?」
鏡越しに絵美里が言う。指で瞼をおさえながらカラコンを入れて、もうひとつのパウチを開けようとしている。
シェアハウスの3人が実家へ帰ってしまい、残っているのは私と絵美里だけになってしまった。
「帰りたいんだけど、うちほら、祖父母だから。感染させたらちょっとね」
「あぁ、そっか」
もう片方の目にカラコンを入れて、よし、と絵美里がつぶやく。
「絵美里ちゃんは実家帰らないの?大学はオンラインだからパソコンあれば大丈夫なんでしょ?」
「大学はそうなんですけど、うちもおじいちゃん大病してたんで、ぶっちゃけ悩んだんですけど、もうちょっとこっちでがんばってみよっかなって。咲さんとこって祖父母さんだけなんでしたっけ?」
「あと父親がいる。父親の実家なの。高校まではみんなで神奈川に住んでたんだけど、母親が亡くなってからそっちの田舎に」
「あぁ、そうなんですね」
母親が亡くなったのはいつかとか、どうしてかとか、大変だったでしょうとか、かわいそうとか、そういうことを一切言わないで、絵美里は、そっか、でいつも話を進めてくれる。
「じゃあうちらいつまでも帰れないっすね。家族大事に想えば想うほど帰れないとか矛盾してません?人生って」
「たしかに。ってか、絵美里ちゃんバイト?カラコンいつもしてたっけ?」
「カラコン実は超久しぶりなんですよ~。なんなら、つけまもこのチークも久々です。あ、咲さんこれ知ってます?このアイシャドウ、これ超いいっすよ!透明感っていうか、キラキラしてちゃんと色も付くのに肌の色の邪魔しないんですよ、めちゃいい。全色買いしました!」
チップでもブラシでもなく指でアイシャドウをとって瞼に塗っていく。目を開けるとさりげなくキラキラと光る。
「出かけるんだ、いいなぁ~」
「いや、バイトですよバイト」
「え、絵美里ちゃんシフト減らされたんじゃなかったの?」
「そうなんですよ。だから新しいバイトはじめて」
いいなぁ、と思わず言ってしまう。私も夜の居酒屋のバイトが半分くらいになっていて、新しいバイトを探さないといけない。シェアハウスじゃなかったらとっくに破産していた。
「そっか、それをもうちょっとがんばってみよっかなってことか」
「まぁ、そんなすんごい気合入ってるわけじゃないんですけど、ちょっと楽しそうなんですよ」
「へぇ、どんなバイトなの?まさか夜系?」
「咲さんマジそれは無いです。ってか、たぶん営業もしててお金もいっぱいもらえてってなったらそっちもありなんでしょうけど、リスク高いのはイヤだし、それにそういう見た目じゃないじゃないですか、うちら」
うちら、と言うのに思わず笑ってしまった。そうなのだ。私も一瞬、色々なことを我慢してでも稼げたら楽になるんじゃないかと夜系の仕事を見てみたけれど、20代後半で年齢はギリ、初心者歓迎の初心者のハードルが高い、どう考えても写真の中の人々が違う人種、向こうも私を求めてないだろうという結論になった。