古賀ちゃんにヘアカウンセリングを任せて、アンケートに書かれた電話番号に電話すると、すぐに「はい」と急いたような女性の返事があった。高槻の説明に「えっ」と女性が驚く。遠くで赤ちゃんの泣き声がした。
「すみません。下の子を寝かしつけている間に1人で行ってしまったんだと思います。今日小学校が休校で」
桜ちゃんのお母様の取り乱している様子が電話越しから伝わってくる。
「あの子、ずっとそちらで髪を切りたがっていて、私も連れて行こうと思っていたんですが、忙しくて……本当にご迷惑をおかけして申し訳ありません」
今すぐ迎えに行きますと焦るお母様に「実は今日、この天気でお店が暇なんです。差し支えなければ、お嬢様のカットをさせていただけませんか?」と、高槻は努めて軽い口調で言った。
「代金は迎えの際に必ず支払いますので、よろしくお願いします」
最初は遠慮していたお母様から無事了承を得て、ほっと受話器を置くと「どうでした?」と古賀ちゃんが駆け寄ってきた。
「よかったー!せっかく来てくれたのにそのまま帰せないですよね」と、高槻の話を聞いた彼女は自分のことのように喜んだのだった。
早速、桜ちゃんをスタイリングチェアに案内した高槻はカウンセリング用紙に目を通す。
「長さは変えずに大人可愛くしたいんだね。ねずこちゃん?っていうのは、モデルさんかなぁ」
「ええっ? 店長知らないんですか? 今大人気のアニメキャラですよ? ほら、これ」
古賀ちゃんにスマホで画像を見せられ、ああ、確かに見たことあるなと思ったが、知らないとドン引きされるほどすごいのか?と、アニメを観ない高槻は首を傾げた。
「あの」と桜ちゃんが口を開いた。
「あたし、今日チョコ渡して告白するんです!」
あそこで、と、唐突に桜ちゃんが指さしたのは、道路を挟んで対面の金森ビル2階。一心塾だ。
「樹君のタイプがねずこなの」
そういえば、今日は2月14日。大寒波の混乱で忘れていたが、バレンタインデーだ。
桜ちゃんの通う一心塾の『すこやかコース』では、上級生が下級生に勉強を教える時間があり、そこで出会った小学5年生の樹君のことが好きになってしまったそうだ。
樹君は優しくて、顔もカッコよくて、あたしの小学校にはいない完璧な男子なのと、桜ちゃんは断言する。
「でも、樹君4月から特進コースになるんです」
特進コースとすこやかコースは曜日も時間も異なり、接点が無くなるという。
「でね、バレンタインで告白するって決めたら、神様が小学校を休校にしてくれたの。それでここで髪を切ってから塾に行こうと思って」
塾には自習室があるから授業が始まるまでそこで待つつもり、と桜ちゃんは言った。
「うち、赤ちゃんがいてお母さん大変なんです。だからお母さんと赤ちゃんを起こさないようにこっそり出て来たの」
なるほど、と高槻は鏡ごしに古賀ちゃんと目配せする。直接塾に向かうなら、もう一度お母様に電話したほうがよさそうだ。
高槻と古賀ちゃんの意味深なアイコンタクトに、桜ちゃんは慌てて付け加える。
「お金はあります! こういうのって自分のお金じゃないと意味がないから、お小遣い貯めてたんです。3500円あります! ……足りますか?」