根元の黒い侵食がいよいよ目立ってきた頃、私は会社の最寄りから六つ目の駅に降り立っていた。初めて来る街だった。お目当のサロンが臨時休業でふて腐れて歩いていると、駅前には美容室がいくつも見受けられた。そこにもあっちにも。ただでさえ鈍臭いのに目線をちらつかせて歩いていたものだから、路肩の段差に躓いて盛大にこけた。夕日が、無様な私を照らしあげる。
「いったあ」
とっさに手を出した拍子に、掌の皮がめくれて血が滲んでいた。周りを行き交う人たちは無機質な顔で、こちらを一瞥してはすぐに目を逸らす。恥ずかしいやら寂しいやらで、頭に血が昇ってくる。
「ばか段差っ」ひとりごとが虚しかった。
服をはたいて立ち上がると、甘やかな香りが鼻を掠めた。振り返ると、明るい髪色の女の子がすぐそばに立っている。心配そうな顔を向けてくれていたので、とても救われる思いがした。女の子は目がくりんとしてそれこそヘアモデルみたいに可憐で、香りはこの子から漂ってくるのだと私は確信していた。
「あ、は。すみません」なんとなく謝る私に、女の子は微笑みをくれた。
「一人でコケると孤独ですよね。あたしもよくやるから他人事とは 思えなくて」話し方は落ち着いていて、彼女が急に大人びて見えた。
「あ、血が出てるっ。絆創膏持ってますか」
「ないけど、大丈夫です。ありがとう」
「三十歩、我慢できますか。うちすぐそこなんで」「いえそんな」
「店やってるんです。今誰もいないからどうぞ。手洗えるし絆創膏も」「悪いから……」
「ぜーんぜん悪くありません。これもなにかの縁ですし」
「えん」
ときめきを感じ、誘いにのってみることにした。彼女のあとについてすぐそこの路地を曲がる。一分も経たないうちに、そのお店はぬっと姿を現した。
「嘘でしょ」
山小屋のような外観。大きなガラス扉の脇に、立て看板が置かれている。
『HAIR SALON HANEYCOMB』
ハニーコンボ、と読むのかな。紛れも無く美容室であった。あまりの偶然に背筋が寒くなる。おじいちゃん、お墓参りに行きます。
「いたあっ」消毒液が染みる。
「結構がっつりいってますね。早く処置できて良かった」
こじんまりした可愛いサロンだった。木造の店内は、暖色の光をあちこちに反射させて綺麗だ。古ぼけた感じのボサノバが小さく流れていて、女性ボーカルの掠れ声が耳にこそばゆい。二脚ある椅子の片方に腰掛けて、私は右手を彼女にあずけている。
「よしっ。こんなもんかな」