「栞ちゃんは今日ってこの後空いてる?」
急に話題が変わって、「はい、空いてます」と答えてしまう。
「じゃ、入学祝いでここは私が出すから。その代わりに一緒に洋服でも見に行こうよ」
「どうする栞ちゃん」
高橋さんの言葉に「お願いします。」と遠慮がちに答えていた。
鏡越しに見える高橋さんの指先は、丁寧に私の髪に触れている。鋏を器用に使う様子をじっと見つめてしまう。その間隣のセットチェアに座る新井さんと高橋さんとの会話は大学生活の話になっていた。会話の中で新井さんは高橋さんを紗友里と呼んでいた。
「染めていきますね」
「本当にいいんですか」
ここになって本当に甘えるべきか迷ってしまった。
「この前も言ったけどさ、栞ちゃんを見てると思い出すんだよね。東京に来たばかりの頃をさ。これも何かの縁だし。それになんか似てるの」
「似てる?」
「私が駆け出しだった頃に、美容院に上京したての美玖が来て仲良くなったの」
「…なんか素敵です」
髪を染めるのは初めてで、急に大人の階段を駆け上がるような気持ちがした。隣に座り一緒に髪を染める新井さんと高橋さんとの会話は気が付くと最後まで続いていた。
「こんな感じでどうでしょうか」
シャンプーを終え、髪を乾かしてもらい、紗友里さんが折り畳みのバックミラーで後ろの出来上がりを見せてくれる。胸の位置にあった毛先は肩よりも上の位置に綺麗に、それでいて自然に揃っていた。手櫛をしてみると指通りの滑らかさが心地よい。
明るくなった髪色に自然と心が踊る。
「似合ってるよ栞ちゃん」
「ほんとですか」
でもその言葉が素直に嬉しかった。
「美玖さんも似合ってます」
「まあね」
「春っぽいです」
「いや、もうこれは春だね」
「はい、春ですね」
4.
朝、遅刻しないようにと目覚ましをかけたけど、30分も早く目が覚めてしまった。1DKの部屋で身だしなみを整え、まだ慣れないメイクをして、もちろん髪を丁寧に梳かした。
昨日の入学式を終えて、美玖さんが選んでくれたコートを着て初めて私服での登校の日。あと少しで大学の正門。私と同じ新入生が同じ方向へ歩みを進めている。
コートのポケットに入れていたスマホを取り出す。初めて美容院であった日に美玖ちゃん紗友里ちゃんとラインを交換した。東京に来て初めてできた友達が大学の外とは想像もしていなかったけど、少しだけ居場所を見つけられた。
美玖さんとの朝のラインのやり取りを見返す。
「春が来たね!」スマホには文字しかないけれど、美玖さんの声が聞こえた。その下には髪を染めたばかりの私の写真。
染めた日から鏡を見るのが楽しくて、日に日にこの色が自分に馴染んでいく感覚はきっと気のせいじゃないはず。
大学の正門をくぐると目の前には大きな校舎。
桜の木に春の色をつけている。
自分の髪をそっと撫でてみた。