気づけば一年が経っていた。あれほど迷っていたネイリストの養成講座を修了し、試験にも無事合格。さあ働き口を探すぞという私を引き留めたのは、実家の両親だった。突然呼び出されたかと思えば、おまえもそろそろ身を固めろと説教が始まり、ネイリストの話を切り出したところ、いつまでふらふらしているつもりだと跳ねのけられ、挙句父から「会社の後輩にいい奴がいるから会ってみろ」と半ば強制的に約束をとりつけられてしまった。見合い話など、想像したこともなかった。
この一年で多少成長したつもりでいたが、両親に問い詰められたくらいで折れてしまう あたり、やはり私の意志の弱さは筋金入りだ。視界の端に毛先がちらついた。お見合いをするなら、髪色を暗くしなければ。高梁さんの空きは一週間後だった。
「今日はどんな感じにします?」
「……今日は、普通な感じで」
いつになく暗い雰囲気の私に、高梁さんが目を丸くする。
「なんの役なんですか?」
「……お見合いの話、なんですけど」
ケープに隠れた両手をぎゅっと握った。
「親から、そろそろ身を固めろと言われて」
「はあ」
「今いくつだと思ってるんだ、夢なんて追ってる場合じゃないだろって」
「うん」
「でも私なりに、努力してきたつもりで」
鼻の奥がツンとして、目頭が熱くなる。まずいと思った瞬間には、私の涙腺は決壊していた。高梁さんがぎょっとして、ティッシュティッシュ、と慌てふためいている。
「だいじょぶですか?」
感情がとめどなく溢れ出し、ついに私は白状した。
「すみません、すみません私、本当は役者じゃないんです、今までずっと嘘ついてて」
「知ってましたよ」
ありったけのティッシュを手渡しながら、高梁さんはあっさりと言った。
「最初にご予約されたとき、アンケートで職業欄『無職』にしてたじゃないですか」
言葉を失う。完全に無意識だった。ならば、今まで高梁さんは全てを知りながら私の茶番に付き合ってくれていたということだ。自分の愚かさが憎い。顔から火が出そうだった。まあ後から気づいたんですけどね、と言う高梁さんの声が遠くに聞こえる。
「おかしな客が来たと思わなかったんですか?」
「いや、毎回お題が面白かったんで、あたしもやったるぞーって気持ちになって」
高梁さんはそう言うが、そんな高梁さんこそ、大概面白い人だと思う。
「まあ皆さん同じなんで」
「同じ?」
「皆さん、イメチェンしたいとか、可愛くなりたいとか、モテたいとか……いろんな理由でいらっしゃるんで。それと同じかなって」
高梁さんの視線につられて、美容院の中を見渡す。楽し気に恋人の話をする男性、お疲れ気味のスーツの女性、他にもたくさんのお客さんの存在が初めて目に入った。
私は自分だけが崖っぷちに立っているように感じていた。でも、ここに来る人はみんな、 昨日とは違う自分が見たいのだ。それぞれの役が。
「高梁さんは何の役になりたいんですか?」
高梁さんは迷いなく答えた。
「あたしはずっと美容師役がいいです」
そして「あと、お客さんの担当役ね」と笑った。笑顔の周りできらきら光る、高梁さんの金髪。それをずっと綺麗だと思っていたことを自覚した瞬間、私は呟いていた。
「私も高梁さんみたいな金髪にしたい」
「マジすか!」
小さな声を聞き逃さず「何役ですか?」と期待のまなざしを向ける高梁さんに、私は笑って返した。
「反抗期の役かなあ」
そしていつもの「了解でーす」から、ブリーチが始まる。
「で、どんな話ですか?」
「両親に怒られるんですけど、私の人生だから好きにさせろ、って啖呵を切るんです。それでね……」
真っ白なケープ、シャンプーの香り、小気味よい鋏の音。そして、私という役をともに作り上げてくれる高梁さん。
このバックステージで、何度でも私は生まれ変わるのだ。