口をついて出たのは、頭を駆け巡っていた中でも最悪のアイデアだった。
「マジですか! あたし役者さんに会ったの初めて」
「いや、そんな……」
「舞台とか出るんですか?」
「まあ、その、たまに……」
「かっこいー!」
言い訳が許されるならば、そんな設定を思いついたのは最近読んだ漫画の主人公が役者だったからだ。至極単純な思考回路に泣けてくる。
「次なんの役やるんですか?」
どっと冷や汗が出た。これほど例の布に感謝したことはない。
「えっと……会社をクビになった役……」
「へえー」
シャワーが止まり、髪を拭き取られる感覚。起こしまーす、という間延びした声とともに 身体が持ち上げられ、再び席まで案内される。前を歩くタカハシさんの金髪に照明が反射してまぶしい。
カットを始めてからのタカハシさんは、先程までの様子が嘘のように静かだった。内心ほっとしながら雑誌を捲る。しばらく経った頃、タカハシさんが尋ねた。
「前髪どうします?」
子どもの頃に額の広さをからかわれて以来、前髪は下ろすものと決めていた。眉ぐらいで、 と伝えようとしたところでタカハシさんが言う。
「あー、おでこ出すのも似合いますね!」
前髪が掬われ右側に流される。意外と似合っている自分に驚いた。
「良くないですか?」
「えっと……その……」
「じゃあもうちょっと悩んでもらって」
優柔不断な私を慮ってか、タカハシさんが前髪を離す。
「で、どうなるんです?」
固まっていると、タカハシさんが「さっきの舞台」と付け足す。
「えっと……次の就職先を探すけど、だめで……何度も面接して……」
「へー、クビになるってどんな感じなんですかねー」
私の心を開いて晒して、こんな感じですと言ってしまいたかった。
「どん底というか……何からやろうみたいな……その、演じてるときは……」
「まあどん底までいったら逆にいいんじゃないですかね? あとは上がるだけみたいな」
なんの逆だと心の中でぼやきながら、一理あるとも思っている自分がいた。
「前髪やっぱり流しません? 明るい感じに見えるんで」
面接にも良くないですか? と続ける彼女の笑顔に押し切られ、結局言う通りにした。ほどなくカットは完了し、お会計を済ませた私をタカハシさんが見送る。次回は別の店に行こうと思った矢先、元気な声が響いた。
「次の役決まったら、また来てくださいね!」