それは突然起こった。
東京都大田区の『蒲田』付近にいる人々が固まってしまったのだ。
固まったのは人間だけではない。ちょうど駅のホームに入ってきた電車も、カーブを曲がろうとしていた車も、羽根つき餃子から滴る肉汁も、空を舞うトンビも全てが一時停止のボタンが押されたように固まった。
それは東急プラザ蒲田を中心としたおよそ半径500メートル内で発生していた。
その境目では、ちょうど入ろうとした者が外に弾き飛ばされ、ちょうど出ようとした者は内に跳ね戻って固まった。
外に弾き飛ばされたうちの数名が異変に気付き、どこに連絡をしたら良いものかと悩みながらもとりあえず、警察に通報した。しかし、この特殊な事態において警察も手の施しようがなかった。
パトカーで道路から侵入しようにも、呑川からボートで試みても見えない壁に弾かれてしまった。ただ、その見えぬ壁は無色透明のため、内側がはっきりと見えており、すぐそこに立つ人々や柴犬が固まっているのを視認できた。
さて、どうしたものかと警察の上層部からあれこれと話が回って、自衛隊の出動とあいなった。これで無事解決となれば良かったが、そうは問屋が卸さなかった。
戦車で突っ込んでもその壁を破ることができず、陸も川もダメであれば空だということで、茨城県は百里基地から偵察機『RF-4E』を一機飛ばしたが、これもやはり壁に阻まれた。かなりの高度から試みたのだが、その壁は、はるか宇宙まで伸びているようで、やはり侵入は不可能であった。
それでは、と話は内閣衛星情報センターに持ち込まれ、衛星からの偵察が行われた。だがこれも無駄であった。
衛星からの映像は、蒲田だけが黒く塗りつぶされたようになってしまって確認ができなかった。しかし、熱感知センサーが街の様子を捉えた。街にいる人々の熱が確認でき、ひとまずの生存は判明した。
分かったのは、これだけであった。外側の人々は一体、何が起きているのか皆目検討がつかなかった。蒲田で固まった人々以外の全国民の頭に疑問符が浮かんでいた頃、熱感知センサーが新たに二つの熱を捉えた。
それらが動いた。
「ぷはっ」
『蒲田温泉』の真っ黒い湯で満たされた浴槽の中から小学五年生の風間太郎は顔を出し、頭から滴るお湯も気にせず、大きく息を吸った。そして、すぐ脇を確認し、悔しそうに湯面を叩いた。
それが合図かのように、先日、古希を迎えた風間泰が湯の中から顔を出し、太郎と同じように大きく息を吸って笑った。
「じいちゃんの勝ちだな。まあ、じいちゃんはここが出来た頃から通っているんだから」