いつも芝居の話ばっかりだった。脚本と演技について語ると止まらなくなってしまって、私は慌てて終電に駆け込む羽目になった。居酒屋臭いような、混み合う終電の中で、バッグからいつも持ち歩いているピンクのノートを取り出して、小野さんの含蓄ある言葉や私へのアドバイスを書き留めた。いつか「いい女優になったな」って本気で言ってもらいたくて、芝居に関する小野さんの言葉はひとつ漏らさず、絶対に忘れたくなかった。私の女優としての強みは清潔感で「下品な役を演じるときこそ役者自身の品性が大事なんだよ」と何度も言ってくれた。
私は小劇場の女優で、小野さんはテレビのプロデューサー。といっても、テレビ局の人ではなく、早稲田を卒業して間もなく仲間と製作会社を立ち上げて、40年近くドラマを撮り続けてきた。4年前、私がある舞台に出演したときの演出家と小野さんが親しい仲で、小野さんが舞台上の私にビビッときたのが出会いだった。「本当にビビッときたんだよ、股間にね」って言われて、このオッサンも変態か?と思ったのが始まりだった。小劇場は、女優と個人的に親しくなるのが目的のお客さんも多いのだ。マスコミで売れている女優は手が届かないけれど、下北沢や池袋の女優なら万一の可能性があるかもしれないと期待しているヘンな男の多いこと。でも、小野さんはれっきとしたキャリアのあるプロデューサーだった。千秋楽を無事に終えて、演出家も一緒に飲みに行ったときに、改めて「股間に感じるような役じゃなかったと思うんですけど」と言ってみた。小野さんはおかしそうに笑いながら「でも、ビビッときたんだ。なかなか素敵だったよ」と答えた。平凡ではない褒め言葉に、私も悪い気はしなかった。そのとき小野さんは坊主頭にキャップを被っていた。おしゃれな印象を受けた。実は、抗がん剤の副作用で髪が抜けてしまったことは後で聞かされた。
「年齢の割にふさふさの髪が自慢だったのにさ、キミに出会うのががんになる前だったらなあ」とつぶやいていた。それから、私が舞台に立つたびに必ず差し入れを持って観に来てくれた、つい先日まで。
結局、私はコメントを残さないまま、パソコンの電源を切った。今日は夜7時開演のソワレだけなので、これから劇場に出かけても余裕がある。小野さんの死を知って、本番中なのにすっかり気が外れてしまった。早めに劇場入りして、念入りにストレッチして集中力を取り戻そう。まだ客入れまでには2時間以上もある、空っぽの客席の合間で身体をほぐすのが大好きだ。どの劇場にもお芝居の神様はいて、ゆっくり対話できるのがこの時間のような気がする。昨日うまく演じられなかった台詞が、今日はお客様にしっかり届きますように。私には固定ファンがついてくれているので、チケットの売上げを心配する必要はないが、その代わりにお客様の期待に応える責任がある。今回は、松竹蒲田撮影所の所長だった城戸四郎をめぐる舞台で、私は城戸の妻を演じている。松竹の創始者のひとりであった大谷竹次郎の庶子であった彼女の生い立ちについては、父親のいない私と重なるようで重ならない。だって、私は父親がどこの誰かも知らないのだから。でも、幼い頃の家庭に父親が不在であっても、後に自分の夫が父親の会社の立役者となる物語は気に入っている。今回の台本では、城戸夫妻の結婚から1936年に撮影所が蒲田から大船へと移転するまでを描いている。撮影所の移転は、トーキー映画が主流となり、町工場の多い蒲田では不都合が増えたためだったというが、当時の賑わいを舞台上で再現しようと若手の役者たちは張り切っている。