須田の女房は、話を聞きながら、おや、とか、あらま、とかいう合いの手をいれるのが癖の、気さくで、目がぱっちりした女だった。
おかみさんの横によちよち歩きの女の子がうごきまわっていた。
「何人目の孫だい?」
「事情があって、女房があずかっている」
なにか思い出しそうになったが、無意識の力がはたらいて、消えていった。
「クラス会をやろう、何年ぶりかなア、蒲田でうまれて、蒲田でジジやババになったのって、あんがい、多いのさ」
「相生小学校や御園中学はまだあるの?」
「うちの商売がなりたっているのは、両校の御用達だからで、白墨や黒板消しまで収めさせてもらっている」
「子も孫も相生小学校というひとは?」
「何人かいるなあ。ところで、いまの住まいはどこなの? 同窓会の案内状をださなきゃならん」
「家や家財道具を売り払って、スーツケース一個で、ホテル住まいさ」
「あらま」と須田の女房が目を丸くした。
「カネかかるだろ?」
「こっちも長い寿命じゃないから、いってこいさ」
「なんで蒲田に来た?」
「必死に生きていたときには、蒲田から足が遠のいた。子ども時代をすごした蒲田のむこうをはって、じぶんの生きる場所をじぶんでつくろうとしたのかもしれん。だが、人生の終幕に近づいてきて、蒲田以外の場所が、妙によそよそしく思えてきて、矢も盾もたまらず、帰ってきた」
「どこかわるいのか」
栗山は応えず、ゆっくり須田の顔を見た。
「多摩川の土手からみた夕焼けを覚えているかい?」
「夏休みに多摩川で泳ぎ、ボートから飛びこんだものさ」
須田が得意げに女房の顔を見た。
「あらま」
「真っ黒に日焼けしたハナたらしが、土手に並んで、川崎市のむこうに落ちてゆく真っ赤な太陽をながめていた」
「多摩川が工場排水や下水道で汚染される前の話だ」
須田が、二杯目のコーヒーをテーブルにおいて、栗山をみた。
「蒲田に腰を据えるなら、ホテルより賃貸マンションのほうが経済的だ」
「そうかい」
「それとも中古マンションを買うかい? このあたりは掘り出し物が多い」
「心当たりでもあるの」