「もうっ!お母さん!お弁当に煮物は入れないでって言ったじゃんっ!」
朝からフルタイムでの仕事を終え、慌ただしく買い物をして玄関のドアを空けるなり、娘の怒鳴り声が飛んで来た。
この春、一人娘の理沙が無事に高校生になった。三十歳を過ぎてやっと授かった一人娘。溺愛する夫は娘の成長を待たず、理沙が小学校一年生の時、事故であっけなく逝ってしまった。
それからは親子二人慎ましく暮らして来た。夫の分もと思う気持ちがいつも先に立って、気づけば私自信もかなり甘やかして育ててしまったと最近になって反省している。それでも、かわいい娘に笑顔になってほしくて未だにその反省は改善されていない。
夕飯の支度をする手順を頭の中で組立てながら玄関のドアを開けた途端に違う記憶とすり替わる。
(今朝作った理沙のお弁当に、隙間が空いてしまう事を懸念して夕飯の残りの切干大根を突っ込んでしまった)娘の怒号に自身の行いを反省してしまう。なんとも情けない母親だ。
懸命に働き、夢中で子育てをして来た。女手ひとつでと世間で言われるような苦労は私自身ほとんど感じていない。理沙と二人の生活が今は当たり前の事にしか思えない。夫が亡くなった時に実家に戻る選択肢もあった。でも何故だか、ここで、夫と二人で暮らしたこの場所で理沙を育てたいと思った。でも、最近思う。何だか少し疲れたと。
高校生になってめっきり口数が少なくなった理沙。ちょっと前までは夕飯のおかずが好きな物だというだけで声を上げてきゃきゃっと喜んだのに。最近では笑った顔よりも、怒った顔のほうが印象に深い。
叱る時はビシッと叱り、あとは優しく柔らかく接すればいい。子供はそうやって親の愛情を感じるものだ。理沙を身ごもり、妊娠中の不安定な気持ちが続いた時に祖母が言ってくれた。
いつまでも母になりきれない私を横目に、優しいながらもピリリとした厳しさをほどよく織り交ぜて理沙を躾てくれたのは、私の母と祖母だ。
おかげで理沙は世間ではそれなりに(いい娘さん)の部類に入っていると思われる子に育ってくれたと思う。
祖母は、ひ孫の理沙の成長を惜しみながら理沙が中学に上がる前に他界した。それからは私の母、理沙にとってのおばあちゃんが躾役を一人で担ってくれている。(たまにはちゃんと叱らなきゃね)と未だ娘の私も一緒に優しくたしなめられ、躾けられている。
「今日、夕飯何?」
部屋から玄関に向かって大声を張り上げた理沙は、リビングに顔を見せるとテーブルに置いたレジ袋の中身を確認している。
中から見つけた魚肉ソーセージの薄皮を器用に糸切り歯で噛み切って頬張りながら、袋の中身を一つずつテーブルに出していく。