「ぼくもココちゃんのこと大好きだよ」とぼくは電話口にささやいた。
「へえ」とココちゃんがいった。
「へえってなにさ」とぼくはいった。
「エイスケも愛してるっていってよ」
「愛してるよ」
「へえ」
「だからへえってなにさ」
「うれしいなって思ってさ。ところでエイスケ煙草はやめた?」
「いややめてない」
「へえ。なんで?」
「いくらココちゃんの頼みでもこればっかりはやめられないよ。ぼくの数少ない趣味のひとつなんだ」
「へーえ。まあいいか。じゃあいつかやめてよ」
「なんでだよ」
「いつかエイスケが煙草をやめてくれたらその時はわたしエイスケと結婚してあげる。煙草をやめてくれないんだったらエイスケとは結婚はしない。だってわたし嫌だもん。早死にする人のお嫁さんになるのなんかぜったいお断り。用件はそれだけよ。じゃあね。また明日」
そういい終えるとさっさとココちゃんは電話を切ってしまった。これも一種のプロポーズだろうか? とぼくは思った。
愛されるってのはいいもんだ。ところで『アイラブユー』ってタイトルの歌は世界に何曲ぐらいあるんだろう。百億曲くらいあるかもな。そんなことを思いながらぼくは煙草に火をつけた。ゆらゆらっと煙がのぼってく。ぼくのアパートの低くて青い天井に向かって。
ぼくのアパートの部屋の内装はぜんぶ青なんだ。壁も床も天井もぜんぶ。「ブルーブルーボンバールーム」ってココちゃんは呼んでいる。古代メソポタミア語で「あまりにも青すぎる部屋」という意味だという。ほんとかどうか知らない。たぶんウソだと思う。そういうたぐいのウソはよくつくのだ。ココちゃんって人は。
ぼくは煙草を吸い終えるとベッドに飛びこんで一瞬で眠りに落ちた。夢は見なかった。夢はいつも見ない。見たことがない。
目がさめたら金曜日だった。昨日は木曜日だったからこれは当然のことだ。
ぼくはシャワーを浴びてお気に入りの緑のジーンズと春物の白いセーターを着て弾丸のように家を飛びだした。金曜日はいつも朝からココちゃんと映画を観ることに決まっているのだ。
待ち合わせ場所は塚口のドーナツ屋さん。ぼくは武庫之荘から電車に乗って向かった。ドーナツ屋さんにつくと彼女は二階席の奥の窓際に座って窓からさしこむ三月中旬のうららかな朝日を浴びながら本を読んでいた。右手にシェイクスピアの『ハムレット』。左手には食べかけのチョコレートドーナツ。ぼくはココちゃんの向かいにそっと腰をおろして彼女の手からチョコレートドーナツをひったくった。そして一口でぱくりとのみこんだ。
ココちゃんは目を大きくして怒った。