その言葉に、しおりが嫁いでいく日を想像し、明彦の涙腺が緩んだ。その日ばかりはさすがのしおりも、「今まで育ててくれてありがとう」と言ってくれるに違いない。あの小さかったしおりが。父を毛嫌いしていたあのしおりが。
とうとうこみ上げてきてしまい、智子に悟られないように、冷蔵庫からつまみを探すフリをした。涙が引くまで、明彦は探し続けた。
しおりとの関係は膠着状態のまま、月日が過ぎていった。夕方、智子から「ケーキ買ってあるよ」というLINEが来て、自分の誕生日であることを思い出した。朝、智子に「誕生日おめでとう」と言われていたにも関わらず、すっかり忘れていた。しおりも朝、その場にいたが何の言葉もなかった。おめでとうの一言もなければ、もちろんプレゼントもない。別にそれでいい。元気でいてくれることが親にとっては何よりのプレゼントだ。と、言い聞かせる。
帰りの足取りは、重くもなければ軽くもなかった。ちょっと一杯ひっかけていきたい気もあるが、ケーキを用意してくれているので我慢しよう。
「ただいま」
いつもと変わらない帰宅をし、いつものようにリビングに直行した。晩ご飯はいつもよりちょっと豪華だった。
「あー、腹減った」
「あとでケーキ出すからね」
「サンキュー」
コートを脱いで、ジャケットとネクタイからも体を解放してやる。リラックスモードにスイッチが入り、ホッピーが恋しくなって冷蔵庫を開けた。
「あれ?」
いつものところにホッピーがない。しまった、昨日で飲み切ってしまっていたのか。
「うわー」
明彦はその場にしゃがみこんだ。
「なに? どうしたの?」
「ホッピー切らしちゃってたよ」
「あらら」
「ちょっと買いに行ってくる」
「ええ!?」
智子の眉間にしわが寄った。
「もう晩ご飯だよ?」
「すぐ行ってくる」
「しおりも今日はご飯待っててくれてたんだよ」
チラッと見ると、しおりは興味なさそうにテレビを観ている。
「すぐだから。すぐ戻ってくるから」
「もう!」
さっき脱いだコートだけを羽織って、リビングを出ようとしたときだった。
「あるよ、ホッピー」
しおりの声だった。
「え?」
思わず明彦が振り返る。しおりはテレビを観たままだ。
「あるっつってんの」
智子を見ると微笑んでいる。
「あるっていうのは……?」
きょとんとしていると、智子が介入してきた。
「しおり、パパ混乱しちゃってるから、今出してあげて」
その言葉に、しおりはかったるそうに立ち上がり、食器棚の中から何やら袋を出してきた。きらびやかなリボンで結ばれている。それをぶっきらぼうに明彦に渡した。ずしりとした重さがある。
「え? これ、プレゼント?」
しおりは何も言わない。智子が代弁する。
「あとでサプライズで出そうとしたのに、なんでホッピー切らしてんのよー」
恐る恐るリボンをほどき、中を開ける。
「あっ、ホッピー……」
取り出すと、白、黒、赤の3本入っていた。
「え、これ、しおりが?」
「そ、赤いのってなかなかないんでしょ? しおりが色々調べてくれて、わざわざ注文してくれたんだよ」
あまりのことに、明彦は何も言えないでいた。絞り出すように、「ありがとう、しおり」と、つぶやいた。明彦がホッピーをテーブルに置き、袋を丁寧に畳もうとしたときだった。
「ちょっと。ちゃんと中を見てよ」