上京した叔父からは時々私宛に連絡がきた。都内で活動している小さな劇団に所属して、月に一度の公演と不定期に入るエキストラの仕事をしているとのことだった。案外暇を持て余しているらしく、アルバイト先での面白い出来事や高校を卒業するまでに読んでおいたほうが良い本のリストなど、あるいは毎日家で顔を合わせていたときよりも饒舌に語った。私はこれといって特筆すべき近況もなかったので、相変わらず祖父が腹を立てていることや、親族の集まりのときに叔父の名前を口にするのは禁忌になっていることなどを報告した。
叔父とのやり取りが半年ほど続いたある日、私は大学入試のために東京都と神奈川県の県境にある叔父のアパートを訪れた。両親は宿泊先を手配してくれていたが、私はそれをキャンセルして叔父のアパートで二泊することにしていた。
小田急線の最寄り駅まで迎えに来てくれた叔父は少し痩せたくらいで、以前とそれほど変わっていないように見えた。ただ、長く伸ばした髪を後ろで一つに束ねた風体がいかにも売れない劇団員風だったので、駅の改札を抜けた先にその姿を見つけたときはおもわず笑ってしまった。
「叔父さん、そんな、形から入らなくても」
叔父はいつもの笑顔で私を迎えると、駅から徒歩十五分ほどの場所にあるアパートまで案内した。羽田空港に到着してからこの駅で降りるまで人の多さに辟易していた私は、人混みのなかを慣れた足取りで抜ける叔父を頼もしく思いながら、幼い頃のようにその後ろをついて行った。
叔父のアパートは六畳一間に狭いキッチンがあるだけの、絵にかいたようなボロアパートだった。その小汚い部屋のなかでの貧乏暮らしは、しかし、叔父には快適らしく、衣服や雑誌の散乱した床の上を水鳥のように優雅に歩いてリビングとトイレを行き来した。
「来月、苦悩する画家の役をするんだ」
叔父は私を年季の入ったソファーに座らせて、迫真らしい演技を見せてくれた。その抽象的な表現は私には少しも理解できなかったけれど、長い台詞を間違えないように棒読みする叔父の表情は、大学に行かずに部屋でくすぶっていた頃に比べて溌剌として見えた。東京の水は叔父に合っているようだった。私はその遠慮するのも憚れるほど粗末な部屋を自分の部屋のように使わせてもらい、一般入試の試験会場に向かった。
叔父の部屋に泊まって二日目の夜、叔父は試験を終えた私のためにささやかな前祝いを開いてくれた。それは本当にささやかなもので、近所のスーパーで買った惣菜と飲み物を狭い部屋のテーブルに並べただけに過ぎなかった。叔父は毎月の家賃の支払いにも困っているにも関わらずその代金をすべて支払ってくれた。ホテルをキャンセルして浮いたお金があったので、どちらかというと私のほうが手持ちはあった。それでも、せっかく叔父が年長者らしい姿を見せようとしていたので、黙ってごちそうになることにした。
二人だけの前祝いがはじまると同時に叔父は冷蔵庫から冷えたグラスとポッピーを取り出し、慣れた手つきで焼酎と混ぜ合わせた。それはいつか私の部屋で見せてくれたものと同じ動作だった。私はその目に親しい光景を眺めながら懐かしさを感じないわけにはいかなかった。グラスに口をつけるときの叔父の幸せそうな顔も以前のままだった。