若干の戸惑いを感じつつも七尾は自分の殻を破るかの如く、ゆっくりと話し始めた。
「昨日、誕生日で、さっき初めて、お酒を、飲みました。」
その言葉を聞いた途端おやじの顔は豹変した。次にどんな言葉がおやじから飛び出すか予想がつかない七尾は少し身構えた。
「そりゃおめでたいこっちゃ。お祝いせなあかんわ。」
笑って破顔した顔を七尾に向けながら一人のおやじが声を挙げた。と、ほぼ同時にもう一人のおやじが
「この子、昨日誕生日でさっき初めて酒飲んでんて。みんなで祝ったろ。」
とかなり大きい声で店内にいる客全員に向けて呼びかけた。途端
「おめでとう!」
という声が店内のあちこちから七尾の元に飛び込んできた。笑顔で大勢の人から祝福された経験が七尾にはないため、何とも言えない高揚感が体の奥底から湧き上がってきた。
「今日はお祝いやから、おっちゃんらが奢ったるわ。」
初対面の自分を祝い、そんな言葉をかけてくれたおやじに七尾は感極まり、目頭が少し熱くなる。普段涙もろくはないはずだが、今は酔っ払っているのだろうか。
そんなことを考えていると目の前には先程「ホッピー」を運んできた店員が立っていた。七尾は少し身構える。
「やっぱり酒初めてやったんか」
やさしい表情で店員は声をかけてくる。
「やっぱりばれていたのか」
そう思いながら七尾が少し恥ずかしそうな表情を浮かべていると
「俺も初めて酒飲むときはおんなじ顔してたわ。なんか懐かしくてちょっと笑ってもうたわ。それにしても初めての酒で『ホッピー』頼む人初めて見たで。」
「えっ」
意外な言葉の連続に七尾はその一言しか発することができなかった。店員が笑っていたのは七尾に対してではなく、過去の自分に対してであったのだ。
思い込みが過ぎていたことに七尾は恥ずかしくなったが、最初にこの場所に足を踏み入れた時とは異なり、七尾はもう萎縮することはなかった。
今はこの店の全員が七尾に対して温かい感情を持ってくれているように感じた。
ゆっくりと店内を見渡してみると、店員を含め全員が幸せそうな笑顔を浮かべながら話しており、店の雰囲気が和気あいあいとしている。酒を目の前に、さっきまで緊張していた自分がなんだか愛おしく思えてきた。
七尾は言葉にできない充実感を覚えていた。
「楽しい」
純粋に体内から湧き上がる感情。七尾はその感情を大切にしたいと思った。
七尾はまだ二十歳になったばかりで、「ホッピー」の美味い味は正直まだ分からない。だが、初めてのお酒は七尾に幸福な時間を与えてくれた。そのことに素直に感謝する。
こうして七尾にとって初めての飲酒体験は素晴らしい結末を迎える。
そんな妄想を抱きつつ、七尾は初めての飲酒体験の計画を明日に控え、ニタニタとした表情を張り付けながら布団に潜るのであった。