シクラメンが冬に咲くことを教えてくれたのも原賀先⽣だったと思う。
「夏の間は眠って過ごすの」
⽩いプラスティック製の鉢を優しく撫でながら、先⽣はそう⾔ったんだっけ。
その時の先⽣の顔はうまく思い出せないけれど、先⽣の指の動きは思い出せる。しなやかで⼤⼈びていて、薄⿊く⽇焼けした私の汗ばんだ指とは別の世界の⽣き物みたいだった。
とても暑い⽇だったと思う。のっしりとした⼊道雲が校庭をじっと⾒下ろしていて、私は何⼈かのクラスメイトと⼀緒に、教室のベランダに咲いた⾊とりどりの花の前に⽴っていた。
⼗⼀歳の私。
思い出そうとすれば、意外と多くのことを思い出せるもんだ。教室の⽊の⾹りも、廊下ではしゃいでいた男⼦たちの声も、まるで今もすぐそばにある出来事みたいに鮮明に蘇ってくる。
おかしなことに、クリスマスで賑わう都⼼の駅のホームで、私は九年前の夏の⽇のことを思い出している。
本格的な寒波が訪れた東京では、⾏き交う⼈々の吐く息は皆⽩く、こんなにも冷え込んだ冬の⽇に、遠い昔の夏の出来事をぼやぼやと空想しているのは、きっと私だけだろう。
駅の構内にあるケーキ屋の前では、サンタクロースの格好をした店員が、頬を⾚く染めながら呼び込みをしている。その様⼦を⾒ていると、私の思考はまた⽬の前にある冬にゆっくりとシフトチェンジした。
でも、男⼦たちの声、と思い出したところで、やっぱり⻫⽊くんのことを思い出した。その中には⻫⽊くんもいたはずだから。そしてまたその追憶が、私をある夏の回想の中に引き戻し、私の体温を少しだけ上昇させた。
正直⾔うと、⼩学校を卒業した後も、⻫⽊くんのことは何度か思い出した。だけど彼は、私とは別の私⽴の中学に⾏ってしまったので、この九年間まったく会うことはなかった。
最後に覚えている彼の顔は、卒業式で校歌を歌っている時の顔だった。実際には、彼はろくに歌ってはいなかったけれど、皆が校歌を⻫唱している間、硬く⼝を閉ざし何かを噛みしめるような表情で天井を⾒つめていた。
せめて卒業式の⽇には好きだった気持ちを伝えればよかった、と後になって思ったけれど、そんな勇気なんてなかった。彼が私のことをただの友達としてしか⾒ていないことは百も承知だったし、卒業したらもう会うことがないのだとしても、私はその友達関係を壊して終わりたくは無かった。それと、私の気持ちはもうすでにある場所に忍ばせてあったのだから。
「未来の⾃分に贈り物をしましょう」
と、原賀先⽣が⾔い出したのは、九年前のある冬の⽇だった。
⼩学校で過ごす最後のクリスマスに⾃分へのプレゼントを⽤意して、成⼈を迎えた年のクリスマスにそのプレゼントを開封する。未来の⾃分へ贈るタイムカプセル。先⽣は帰りの会でクラスのみんなにそう提案した。
「⾃分が⾃分のサンタクロースになるの」