「だってあいつらとさ、芝浜みてたらさ、落語の勝さんじゃないけどね、やっぱ働きたいって思ったのよ。店閉めてどうすんのよって話。だってさ今日みたいに大晦日になったら、御一行様またくるよ。引き戸を開けてホッピーの3冷
セットちょうだいって。そういうときにこの店がなかったら途方に暮れるだろう。そういうの寂しいじゃない。だから閉めるのやめる」
芝浜さんは、空になったホッピーの壜を眺めて「捨てられないな」って呟いた。よかったらわたしも1本欲しいって言ったら、2本くれた。
「ねえ、奥さん帰ってこなかったね」
って言うと、芝浜さんは「かかぁも、あっちの人間なの」って店の天上を指差した。
「だって、今日ね奥さんいたよ」
って言ったら「時々ふらっと来るのよ」って寂しそうに笑った。
背中のうしろのほうで、ゆったりとギターの調べが聞こえてきた。
<コーリングユー>だった。
その時、ふたたび引き戸が開いた。
大将の芝浜さんもわたしもジョージさんも息を呑んだ。
じっと引き戸をみつめていたら、身体を折り曲げるようにして戸をくぐりながら声がした。
「スミマセン、アッケマシテェオッメデットゥゴジャイマシュ」
夫のジュディッチだった。
一週間ぐらい前にはこれが最後みたいな電話だったのに彼は今、<ととちゃん>の店の前で笑っていた。
「ないすみーちゅー、入りな入りな」
芝浜さんがジュディッチにされるがままにハグされていた。続いてジョージさんも。芝浜さんは、これにっぽんのさけ。ぷりーずぷりーずって言って、カウンターの上にホッピーをどんと置いた。
嘘みたい、やっぱ神田さんの神泡ホッピーのおかげだわって思いながら、ジュディッチとはじめてのホッピーを呑んだ。その時、店の窓にジョージさんが近寄ると、「雪だよゆきふってる」ってはしゃいでいた。
芝浜さんはこれはいいやねっていって、みんなジョッキ持って外に集合って声をかけた。店の外は雪が降り始めてる。ジュディッチがダッフルコートのポケットに入れていた手をそっと出して手をつないできて、ごめんねのときの顔で笑ってた。芝浜さんはふいにジョッキを空に掲げる。唇の形がありがとねって言ってるのがわかった。
ジュディッチも彼を真似て、空に掲げる。
芝浜さん、ジョージさん、ジュディッチ、みんなのホッピーの入ったジョッキの中に、ひとひらの雪がゆっくりとこぼれ落ちてゆく。みんながどこかで
見ているといいなと思いながら。