「バックホーム!」ファーストとショートが同時に叫んだ。
セカンドの早崎は、前に走り込みながら「これは刺せる」と思った。ファーストとピッチャーの間を力なく弾むゴロはそれこそ何百回も練習してきたコースだ。捕球までは完璧であった。今までにできたことがないほどの守備だった。送球動作に入り、増井を見た。増井は微動だにせず、本塁上でキャッチャーミットを低く構えている。任せろと言わんばかりに増井の眼が光ったように見えた。右目では、精悍な3塁ランナーが俊足をとばしているのがわかる。西高野球部の願いが込められたバックホームの球が放たれた。方向は申し分なかった。しかし、早崎の中指が球の縫い目にわずかに引っ掛かり理想のコースよりも30センチだけ上に浮いた。増井は一瞬体を浮かせ捕球しタッチへ動く。ランナーが本塁に入ってきた。タイミングはアウトに見えた。
お互いに決死のクロスプレーである。ランナーとキャッチャーは激しく衝突し、増井の体は1メートルほど飛ばされた。主審のコールはまだない。その時増井は軽い脳震とう起こしていた。静寂の1、2秒がたった後、増井のミットから球がポトリとこぼれた。主審は大きく両手を広げた。
セーフ。2対2の同点。両校の応援席からどよめきが起こる。
H商業に追い付かれたことも痛かったが、さらに痛いことが起こった。増井が腰と頭を打ち負傷退場したことである。試合経験のほとんど無い2年生捕手が準備もなく呼び出され守備についたが、彼には荷が重すぎた。エース丸山と息が合うはずはなく、H商の打線に一気に打ち込まれた。最終回西高も必死に反撃したが及ばず、5対4で敗れ決勝進出はならなかった。
今でも早崎はあの送球が浮いたことが、ランナーが本塁に入る隙を与え増井のケガを招いたと思っている。そして送球が浮いたことで、増井という攻守の要を失い、結局は敗戦につながったと思っている。30年経っても消すことのできない記憶だ。
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「人生であの時ほど、見知らぬ人からあれほど心配されたことはなかったよ、病院から退院したらまるでスター気分だ」
増井は早崎の気持ちを察してか、あえてユーモラスに返した。負傷した増井はすぐに市民病院へ運ばれ、精密検査を含め2日間入院し、次の日にひょうひょうと登校してきた。階段の踊り場で、強豪との激戦を見た後輩の女子達から何通も手紙をもらっていたのは、早崎も記憶している。増井は母校を背負って戦った勇敢なる戦士だった。
「あのときの増井、ずい分とモテていたよな、親愛女子学院の子も数人校門の外で待っていたよ」
「この前、久しぶりに帰って野球部の連中と飲んだ。西やんも来てくれてね。その場で面白い話を聞いた」
西やんとは、監督だった生物教諭の西口先生のことだ。もう七〇歳を超えていて地元で悠々自適の暮らしをしている。
「西口さんはどんなことを?」
「あの試合のあと、H商業の佐竹監督が菓子折りを持ってわざわざ訪ねてきて、あの3塁ランナーのスライディングの非礼を詫びたそうだ。そして『たまたま勝ったが、気迫では西高に完全に負けていた、セカンドとキャッチャーのあの守備は高校野球のお手本のような好プレーだった』と」
佐竹監督は地元ではちょっとした有名人で、地元テレビ局の野球解説にも呼ばれる人だった。やはり見ている人は見てくれている、早崎はそう思った。