何杯目かのホッピーが2つ運ばれてきた。細目の店長ではなく、髪を金色に染めた十代の若い女性店員である。事務的にジョッキを置いて踵を返すときに、強い香水の匂いがした。
「おう増井、そういえば腰のほうはもう大丈夫か」
「バカだなお前は、何年まえの話だ?もう30年まえだぞ」
「あの日は暑かったな」
「ああ、今でもたまに思い出す」
西高野球部員にとって「あの日」とはあの日一日しかない。
早崎、増井ら3年生が甲子園をめざす最後の夏の地方大会。西高は快進撃を続けていた。県下有数の進学校である西高は、例年2回戦ぐらいで敗れ、そこから3年生の部員は受験勉強に切り替える。
その年は、県ベスト8で強豪校の私立S学園に大差で圧勝し、ベスト4に初進出した。学校側も騒がしくなり、勝ち上がるにつれ在校生やOBが、数百人規模で球場に押し寄せる事態になっていた。旧制中学の流れをくむ百年を超える伝統校なので野球部OBも多く、万一の事態、つまり甲子園出場に備え、夜な夜な対策会議が行われているようであった。
準決勝の相手は、甲子園出場8回の名門H商業に決まった。H商業は、県外からの中学野球の有望選手を何人も引き抜いてチームをつくっている。試合開始の整列の時に、早崎たちは真っ黒に日焼けしたボディビルダーのような対戦相手に圧倒された。
しかし西高のスタメンも闘志がみなぎっていた。エースの丸山はひょろりした痩せ形のサイドスローで120キロぐらいの球速しかでない。しかし、この日の丸山は絶好調で、アウトローのチェインジアップで凡打の山を築いていた。4回表の西高の攻撃で、H商業が送りバントの処理を誤り、無死1,2塁のチャンスが訪れた。さらに送って1死2、3塁。4番の深江は三振したが、5番の増井がショート頭上を越す2ベースで2点先取した。最初にホームを踏んだのは、1番早崎であった。
得点は2対0。まさかの展開である。西高の応援席は祭りのような大騒ぎである。
実力で上回るH商業はその裏、ソロ本塁打で1点を返す、得点は2対1。
中盤はエース丸山の粘りが光る。5回、6回、7回はランナーを2人ずつ出しながらも得点を与えない。
そして忘れもしないH商業、8回裏の攻撃。三塁手のエラーで無死ランナー一塁。俊足の2番バッターは盗塁して無死2塁。3番は送りバントで、1死3塁で同点のチャンスが巡ってきた。西高バッテリーと内野陣はマウンドに集まった。
「外野フライは打たせない、低めの変化球で勝負、内野は少しの前進守備」増井は相変わらず冷静であった。
丸山は粘りのピッチングを見せる。ツーツーの並行カウントから、H商業4番に対して6球連続のファール。バットの芯に当てさせない。
そして丸山の11球目。
低めのチェインジアップに、タイミングが合わずボテボテのセカンドゴロ。なんと3塁ランナーはホームに突っ込んできた。同点を狙いにきたのだ。H商業は伝統的に堅実な野球が持ち味で、普通は3塁にランナーを残す。強豪校も焦っていたのだ。