まゆさんは俺をテーブル席に座らせて、それからお店にお客さんが間違って入ってこないように準備中の札を店の前につけた。
「いやあ、久しぶりだねえ。立派になって、スーツなんて着ちゃってさ。あれ?学生じゃないの?」
「はい、もう働いています」
「そっか。まだあのアパートにいるの?」
「いえ、今は一人暮らしで」
「そう」
まゆさんはコップを二つ出して、いつか天界の水のようにごくごくと飲んでいたお酒の瓶を取り出した。
「じゃあ、乾杯しよう!再会を祝って」
相変わらず明るい声色。おちゃらけたような笑い方。そういうものが、すぐ隣にある。そうして、いつか見ているだけだったその飲み物を一緒に飲んでいる。
「まゆさん、あの」
今、どうしているんですか?
「好きです」
言おうとしていた言葉より先に思いが滑り落ちた。あ、と思った時にはもう遅い。まゆさんはびっくりした顔で俺を見ていた。泣きそうでもあった。困らせたかったわけじゃない。ただ会いたかったのだ。
まゆさんは気持ちを落ち着かせるようにホッピーに口をつけた。焼酎割りなのでお酒の匂いが強く感じる。
「聞いたでしょう、みなくん、お母さんに」
「え?」
「あの時、借金があったの。私が作ったものじゃなくて、父が作ったもの」
しん、と店中が静まり返った。まゆさんの声は落ち着いていた。
「って言っても、もう返し終わったけどね。中卒で働いている時、周りに色々言われたの。何も言っていないのに、体売ってるんでしょとか、女は楽に金が稼げていいね、とか」
頭をガンと殴られた気持ちになって、それから、はらわたが煮えくり返りそうになった。
「そういう偏見が、世の中には本当にたくさんあるのよ。知ってる?私本当に悔しかった。女だから、中卒だから、そういう理由でよく知らない他人に色んなこと言われた」
俺は何も言えなかった。働いて、成人して、もう自分のことを大人だと思っていたが、まゆさんの前ではそういうものがすべて吹き飛んでしまう。
「私、もう傷つきたくないの。ただそれだけ。泣きたくないの」
縋りつくような瞳に思わずたじろぐ。泣きたくないと言い切るまゆさんの瞳は既に涙で濡れていた。
「あの、俺……」
「ごめん、困らせちゃったね」
俺が何か言おうとするのを遮って、まゆさんは笑った。明るい笑み。ごまかすような話し方。俺は咄嗟にポケットの中をまさぐって、こつんと指先にあたったその冷たい王冠を取り出した。
「なに、それ」
「これ、まゆさんの家の前に落ちていたんです」
まゆさんは驚いた顔で俺を見た。俺は、何かに突き動かされるように言葉を続けた。