誇らしげに笑うが、そこに影がないところがまた、前島の絶望を確かなものにした。
前島にとって、入社後3ヶ月間は面白かった。
まるで違う国を旅しているような、何かのB級ドラマの俳優のような、そんな感覚だった。
朝の掃除もやったし、朝早く出社して、先輩たちの机も拭いた。
サラリーマンという役を演じるのは、案外新鮮だ。
ただ、飲み会だけは苦痛だった。
「では、前島くんの歓迎を記念して」
小さい居酒屋で、歓迎会が行われたのが一ヶ月前。
話題といえば、「誰がどこに上がりそうだ」とか「最近の面白いテレビはこれだ」とか。
とりあえず「生で!」もなくなって、とりあえず「大企業で!」もなくなって。
なのに、この人たちは昔のルールに縛られて、たけどルールに上手く乗れなくて、ただ足掻いている。
前島の家にはテレビがなかったし、ビールが嫌いだった。
けど、それは別に半笑いで相槌を打っていれば勝手に過ぎていく。一番疲れるのは、部下の上司に対するゴマスリの時間。
「部長は伝説のマーケッターなんだ」
山田が部長にも聞こえるぐらいの声で話しかけてくる。
「今、我が社の売り上げを引っ張っているこのラムネも、部長がテコ入れして、売り上げが十倍に増えたんだ」
「いやいや、それは偶然だよ」
部長がしれっと嬉しそうに返す。
「いやぁ、すごいっすよ。本当、いつか部長みたいになりたいなぁ」
山田がさらに被せる。
「へぇ。部長は運がいいんですね」
前島がぽろっと返すと、空気が凍った。
帰りの電車で酔っ払った山田に、
「お前、あそこで運がいいと言っちゃあダメだよ」
「後、新人は先輩たちの酒がなくなりそうになったら、『次何飲まれますか?』って聞くんだ」
「今回は俺が店をとったけど、本当は新人の仕事だからな」
「おい、前島。お前、飲み会には参加した方がいいぞ。本物の社会人のマナーがわかる」
「でもラッキーだよ。俺と仕事できるのは。ここまで言ってくれる人はいないよ」
とグダグダ言われてからは、飲み会に呼ばれそうになっても「門限がある」とか適当に言って避けるようにした。
そんなことをしていると、いつの間にか、飲み会に呼ばれなくなった。
多分、山田は今も新人としてちゃんと不文律を守りながら、飲み会に参加しているのだろう。
もはや不憫な気持ちになってくる。
入社して四ヶ月目、演じることも飽きて来て、もうそろそろ辞めようかなぁと思っていると、部長から呼ばれた。
「お前、デジタルマーケティングって知ってるか?」
「デジタルマーケティングですか?」
「そう。社長から急にデジタルマーケティングをやれって来て」
あの社長、思いつきで言うから、とぼやく。
「デジタルマーケティングですか?インスタとか、SNSとか?」
「何だ、それ?」
「えぇっとですね……」
「いいや、お前に任せる」
多分、面倒になったのだろう。
「わかりました」と言って、小椋とのラインを開いた。
「すまんすまん」
そう言いながら小椋が店に入ってくる。
早速、今日部長に言われたことを話した。
「なんかそんな感じでデジタルマーケティングをやんなきゃいけないんだけど、小椋に頼める?」
「マジか。別にいいけど。これ名刺」