小さい頃、偉い人になるためには、「本物の人間でいなければならない」と言われたことがある。
それは確か、小学校の教科書だったか、それとも何かの童話だったか。
ところで今も資本主義は絶好調で、ならば、偉い人と言えばお金を持っている人で、お金持ちは本物の人間ということになる。
前島は灰皿にタバコを握りつぶし、また一本、緑の箱からタバコを抜き取る。
そうであるなら、僕は、多分、偽物だ。
「印刷して来たぜ」
小椋が、手にぺらぺらの印刷紙を持って来た。
印刷紙を手に取る。
細かな字で企業名がぎっしり詰まっていて、印刷したばかりだからか、少し熱を持っていた。
「OK。これで」
小椋は前島から紙を受け取ると、「お前も可笑しな奴だな」と言いながら、その紙をダーツ盤に貼り付けた。
前島は、タバコを口に咥えながら、ダーツを一本持ち、放つ。
「トン」と乾いた音を辿って、小椋がそろりそろりと近づいていく。
じっと突き刺さった先を眺め、「日本飲料!」と嬉しそうに振り向いて、笑った。
適当にアマゾンで買った真っ黒のスーツは、どこかサイズがあっておらず、動くと擦れた音がする。
時計を見ると、ちょうど集合の10分前。
「すいません。新入社員なんですけど」
新入社員と侵入社員、どちらの意味に取ったのかは分からないが、受付のおばさんは「ここをまっすぐ行ったところのホール」と無愛想に答えた。
「ありがとうございます」と小声で会釈し、人気のない廊下を進む。ただ、コツコツと、自分の革靴が鳴らす音が響いた。
ホールに着くと、ドアは開かれていて、パイプ椅子に緊張したスーツの男女が二十名ぐらいか、きちんと席についている。
前島は寒々しい光景を通り過ぎながら、自分の名札の席に座った。
「では、これから2018年度、新入社員歓迎式を始めます」
クタクタにくたびれたスーツにハゲ上がったおっさんが、下卑た顔で告げる。
「あなたたちは、今日から社会人になりますが、私はあえて言いたい。君たちはまだ偽物の社会人だと」
ここの社長らしい。脂ぎった中年男性が、スピーチを始める。
周りの新入社員がメモを書き始める。
バックを漁ったけど、手帳なんて持って来ておらず、前島は場から仕方なく指を組んで、その社長の顔をぼんやり眺める。
「今日から日々を重ねるごとに、君たちは本物の社会人になっていきます。もちろん、そのサポートは私たちがしっかりとさせていただく。だが、肝に命じて欲しい。君たちがいくら、社会人になったと思っていても、私たちから見たら、まだ学生気分の似非社会人だと。まぁ、君たちもいずれわかると思いますが」