「泣いてるヒマがあるんなら、もっと勉強しろ!」
お客様が吐き捨てるように言った言葉が、耳にこびりついて離れない。思い出しただけで、歩美の目頭はじんわりと熱くなる。
混み合った電車のなかで泣くわけにはいかないと慌てて、膝の上に乗せている鞄の中からハンドタオルを取り出す。汗を拭うふりをして、にじんでしまった涙を押さえた。
……悔しいけど、お客様の言っていることは間違っていない。早く勉強しなくちゃ。私は役立たずだ。
そうして、歩美は小さく息を吐いて、気分を変えようと鞄からスマートフォンを取り出したものの、ただピカピカと光るディスプレイをぼんやりと見つめていた。
堀部歩美は今年の春に大学を卒業し、地元のみなもと信用金庫で勤めはじめたばかりだ。みなもと信用金庫としては多くの支店を展開し、地域の人々に多く利用されていると有名だった。
新入社員全員で受ける一ヶ月研修の後、各支店に配属された。先輩の指導のもと、日々の業務に当たっている。
新入社員にはそれぞれ指導係がつくようになっていて、日々の業務について細かく教えてくれる。歩美の指導係についているのは、みなもと信用金庫に勤めて六年になる二条初代だ。二条は、「久しぶりの新入社員が女の子だなんて嬉しい」といって歩美をまるで妹のようだといって可愛がってくれている。しかし、仕事に対しては日々、手厳しい。
「堀部さん、お客様の大事なお金を預かる仕事なんだから。よそ見しちゃダメ」と、口ぐせのようにぴしゃりと言い放つ。歩美は次から次へとでてくる「覚えるべきこと」がたくさんあって、毎日必死だ。
「仕事を覚えるには、実際にお客様の対応をするのが一番早いよ。知識も必要だけど、身体全体で覚えるしね」
二条はそういって、歩美を窓口に立たせ、後ろから見守るという教育方針をとっている。そのおかげもあって、窓口に立って半年も立てば支払いにくるお客様への対応や、貯金の払い戻しなどはスムーズに行うことができるようになっていた。頻繁に訪れる近所のおばあちゃんとも、世間話を交えながら対応できるようにまでなっていた。
しかし、まだ複雑な案件、例えば遺産相続などについては歩美ひとりでは手に負えない。二条の助けを借りてなければ、まだ処理できないことの方が多かった。
今日、歩美が怒らせてしまったお客様の案件も、遺産相続がらみの、かなり込み入ったものだった。厳しい目つきをした男性が、歩美の担当する窓口やってきた。歩美の父と同じくらいの年齢だろうか。見るからに重そうな封筒をカウンターに差し出した。「書類が合っているか見てもらいたい」といった口調は、どこかイラついた様子がうかがい知れた。