8月期優秀作品
『お互いの-月-日』室市雅則
◯月◯日晴れ
今日、お母さんが死んだ。
ワーッと泣くかと思ったら泣かなかった。
そういえば『今日、ママンが死んだ』って始まる小説があったな。
何だっけ、と他のことを考えちゃうくらい全然実感がない。
達観しているとか覚悟していたとかじゃなくて、髪の毛が抜け落ちるみたいに痛みもなくて、あまりにも自然だったからだと思う。お父さんの時の方がショックだった気がする。
だって、昨日お見舞いに行ったら、お母さんが「焼きりんごが食べたい」って言うから、もう準備万端だし。
誰かがこの日記を読んだら、母親が亡くなってよく日記なんて書けるなんて思われるだろうけど、本当は頭の中はお母さんのことばかり。
お母さんがパート仲間との飲み会ではしゃぎ過ぎてワインを飲みまくって酔っ払って、六十を越えているのに玄関の前で寝ていたこととか、私のお見合いの席でビールを飲んで自然にゲップをしていたこととか。
笑えることばかりだな。
でもこれって後から来るパターンだと思う。今も若干その気配あるし。
冷蔵庫の焼きリンゴはキンキンに冷えていてきっと美味しいだろうな。ご飯食べそびれちゃったから、お母さんの代わりに食べて寝よう。
お母さん。お母さん。お母さん。
◯月◯日クモリ
陽子が来た。
プリンを持ってきてくれたけど、焼きりんごが食べたくなってお願いしたら、明日持って来てくれるという。楽しみ。
一日中眠い。
◯月◯日曇り
今日、約十年勤めた会社を辞めた。
会社の仲間が送別会を開いてくれた。みんな良い人たちだ。
一身上の都合でとだけしか理由を伝えなかったから『実は寿退社じゃないの?』なんて、今日もみんなに言われたけど、違う。
三十も半ばになって、これで私の人生は良いのかと疑問に思った。一度思うとそれが頭にこびりついて離れず、仕事が身に入らなかった。
そのくせ自分がやりたいことを考えても、浮かばなかった。
ノープランだけどとりあえず海外に行ってみようと思う。見聞を広めるというか、世界を広げたい。
お母さんは私の好きなようにするのが良いと言ってくれた。
でも、この話をした日の夜、お母さんはパート仲間と飲み会で調子に乗ったらしく、帰って来ないなと思ったら、玄関で朝まで寝ていた。『変なワイン飲んじゃったから』と言っていたけど、絶対に単なる飲み過ぎだと思う。
人の気も知らないではしゃぐなんてと思うけど、まぶたを蚊にさされてはれているのを見たら笑っちゃって元気が出た。
◯月◯日クモリ
今日、陽子が会社を辞めた。
朝早くから夜遅くまで頑張っていた。
海外に行って勉強をしたいと言う。『好きにすれば良い』と伝えたけど、本当は心配だ。
そういえば、相談をされた日、病院の仲間との『七福』での飲み会でワインを飲み過ぎて、玄関で寝てしまった。あれ、絶対変なワインだ。
こんなお母さんでごめん。