数度鼻をすすったあと、歯を見せて俺に笑いかけた。大人のくせに突然感情的になる俺なんかより、こいつのほうがよっぽどしっかりしている。俺はしゃがんで、息子の柔らかい黒髪をぐしゃぐしゃと撫でた。
帰ろうか、と言って立ち上がったとき、
「あ、ママだ!」
と明るい声で言って、息子は突然公園を飛び出した。公園の外の歩道で、その声に気づいた女性がこちらに向かって手を振る。妻だった。
息子の後を追いかけて、三人一緒に帰り道を歩く。
「あのね、パパがいっしょに遊んでくれたんだ!」
「そうなの、よかったわね」
笑って話す母と子。さっきまで泣いていたのが嘘のように晴れやかな笑顔だった。胸がチクリ痛む。同じ家族のはずなのに、ぼんやりと疎外感を感じた。
家に着くころには、電灯の明かりも灯り始めていた。鍵を開けて扉を開くと、わずかな隙間を息子が潜り抜けて、どたどたと慌ただしく家に入る。靴ぐらい揃えてけよー、と呼びかけると、あとでー! と返ってきた。どうせ忘れるんだろうな、と思い、自分の拳ほどしかない小さな靴を揃えてから家に上がる。
「あなた、明日は筋肉痛なんじゃない?」
「いいや、くるなら明後日だな」
妻の言葉にそう返したら、妻は、それもそうね、と笑った。
貴重な休日だったが、身体的にも精神的にも疲れて、全く休んだ気がしなかった。気晴らしに焼酎でも飲むか、と考えながら、リビングの扉を開けると、何かが弾ける音が三つ、続けざまに鳴り響いた。
「結婚記念日、おめでとう!」
紙テープが体にかかり、火薬の匂いが鼻をつく。横にいる妻も、呆然と立ちつくしている。
「ほらほら、お母さんは隣の部屋で着付けね。今日は花嫁なんだから」
未だ戸惑う妻を連れて、長女が部屋を出ていく。何があったのか、状況をうまく飲み込めない。
部屋をもう一度よく見渡してみると、部屋は折り紙でつくったカラフルな輪っかで飾り付けられ、テーブルの上には、手作りの華やかなメニューがずらりと並んでいる。
「これは……?」
放心状態の俺に、長男が照れくさそうに教えてくれた。
「いつも頑張ってくれてる父さんと母さんにお礼がしたくて、兄妹で役割分担して結婚式を開こうってことになったんだ。俺は資金集めで、妹が料理とウェディングドレスとベールの準備。……ドレスっていっても、ワンピースとカーテンを使って、それらしく縫い合わせただけなんだけど。で、弟は当日の準備の時間稼ぎってわけ」
その言葉に、喉が、目頭が、熱くなるのを感じた。
他の誰かが父親だったら、なんて馬鹿なこと、どうして考えたんだろう。俺がこいつらを幸せにしないでどうするんだ。
子どもたちの前でみっともない姿は見せたくないのに、どうしてもこらえきれず、目から涙がこぼれた。歳をとると、涙腺が緩んでいけない。腕で涙を乱暴に拭った。
着付けをすませた妻が、隣の部屋から戻ってきた。照れているのだろう、頬をほんのり赤く染めて、俯きがちになっている。めずらしく恥ずかしがる俺たちを見て、子どもたちはにんまりと笑っていた。
結婚してからしわもシミも増えて、あの頃よりはきれいではなくなったかもしれない。けど、俺たちは今、世界で最も幸せな新郎新婦だと、胸を張って言える。
手作りのバージンロードを歩こうと、俺は花嫁に手を差し伸べた。