7月期優秀作品
『たことカーテン』半田縁起
凧揚げといったら正月にするもので、逆に言えば正月でもなければ凧揚げをすることなんて無いと思っていたのだが、子どもの考えることは大人には分からないもので、元旦をとうに過ぎた春、凧揚げをしたいと息子にせがまれた。妻はパートに出ており、長男長女も宿題で忙しく、相手が俺しかいないのだと言う。丸一日休めることなど年に一度あればいいほうなので正直休みたい気持ちもあったが、たまには親子の中を深めるのも悪くない。息子が昨年幼稚園にいたときに作ったという凧があったので、それを片手に近所の公園に向かった。
群青色の空に、飛行機雲が一筋浮かんでいる。時折、やわらかい春の風が吹いて、広い公園一帯に茂る雑草を揺らす。凧揚げをするのにちょうどいい日和だと言えるだろう。
この公園は、毎年、地域の夏祭りの会場となるだけあって、非常に広い。少年たちがキャッチボールをしているのが見えるが、リトルリーグで活躍する豪腕の持ち主でも、ここまでボールを飛ばすのはほぼほぼ不可能だろう、という程度には距離が離れている。
「この辺りでやろうか」と俺が言う。
「うん」息子は俺を見上げて言う。「パパと遊ぶの、久しぶりだね」
息子の言葉に一瞬どきりとしたが、無邪気に笑う様子をみて、自分を責めるつもりではないことが分かり、安堵した。
凧を飛ばしながら、息子はきゃっきゃと楽しそうに笑っている。澄んだ青い空には、ビニール製のちゃちな赤い凧が頼りなげに浮かんでいる。糸を繰る息子の手は、ひどく不慣れな様子だ。凧が地面に落ちてしまうと、息子はそれを拾って、走ってこっちに持ってきた。そして、また飛ばす。落ちたらまた拾い、延々と同じことを繰り返す。今じゃテレビゲームだのなんだの、面白い遊びがほかにあるだろうに、こんな遊びでいいのだろうか、と思わないでもなかったが、凧糸を持って笑顔で駆け回る息子を見れば、答えはおのずと導き出せる。
遊び相手を務めながら、頭では別のことを考える。
今は楽しげに、走り回っているけれど、仕事にかまけてばかりで、息子にはずいぶんさびしい思いをさせてきたに違いない。公立高校に通う長男が、勉強と部活を両立させた上でバイトまでしているのも、稼ぎの少ない俺のせいなのかもしれない。まだ中学生の長女にも、パートで忙しい妻の家事を手伝ってもらってばかりだし、妻も仕事も家事も休まずに頑張ってくれている。ウェディングドレスを着るのは女性の夢だとよく聞くが、経済的に余裕がなかったために、妻に着させてやることはできなかった。俺なんかが夫で、父親で、この家族は本当に幸せなのだろうか? 別の誰かが父親だったなら、あいつらはもっと幸せだったんじゃないか――。
遠くから、夕焼け小焼けのメロディが聞こえてくる。気がつくと辺りはもう薄暗く、風も少し冷たくなっていた。野球少年たちも、いつの間にか姿を消していた。
「もうそろそろ帰ろうか」
俺が声をかけると、息子は少し焦って、
「やだ! まだ遊ぶ!」
と、駄々をこねた。暗くて危ないから、とたしなめたが、聞く耳を持たない。足から根をはっているかのように、断固としてその場を動こうとしない。それでも帰ろうと促したが、しまいには、声を上げて泣き出した。甲高い声が耳に障る。このまま放っておくわけにもいかず、手を引いて帰ろうとするも暴れ出して、頑としてその場から動こうとしない。こうなった子どもの扱い方を、俺は心得てなかった。泣き声は、だんだん大きくなっていく。
それを聞いているうちに、自然と胸の内に怒りが込み上げてきて、再度伸ばした手を振り払われた瞬間、ついにそれが爆発した。
「いいかげんにしろっ!」
泣き声がやんだ。それと同時に、後悔の念に襲われた。こんな風に怒るつもりじゃなかった。子供相手にこんなことで無気になって、大人げない。罪悪感と、少しの羞恥心が胸に満ちる。さっき変なことを考えていたせいかもしれない。
「悪い。言い過ぎた……」
慌ててそう謝ったものの、居心地の悪い空気が流れる。冷たい風は肌を刺すだけで、この重たい空気を振り払ってはくれなかった。
どうしようかと頭を悩ませていたところ、息子は腕でごしごしと目をこすって、少し震えた声でつぶやいた。
「んーん、だいじょうぶ。わがまま言ってごめんなさい……」