7月期優秀作品
『永遠記念日』藤崎伊織
私が死んでからというもの、夫の落ち込みようといったら目を覆いたくなる程だ。 食事もろくに摂らず、会社も休んで毎日泣いては眠り、起きては泣いている。夫は大概の事は楽しみ、いつも笑っているような人だから、こんな姿を見るのは初めてだ。
そんな日々が二週間ほど続いた日の夜、大学帰りの娘が「せめてもの癒し」と言って猫を買ってきた。娘がずっと猫を飼いたがっていた事は知っていたが、私が猫アレルギーだった為に猫との同居は難しかった。私が死んだとたんに猫を買ってくるあたり、流石に我が娘といったところだ。
「必要以上の不毛な気遣いをしない優しいキミが好きだ」と私に言った夫は、私にそっくりな娘を、私とおなじくらい愛している。
この娘が居る事は、私を失った夫にとっては何よりの救いに違いない。
夫は少しずつ元気を取り戻しつつあった。
会社にも復帰し、次第に飼い猫とじゃれあって笑顔を見せるようになり、いつしか私が居ない事が当たり前の日常となっていった。私が居なくても、もう大丈夫だろう、そう思った。
それにしても、どうして私は未だにこの家に居るのだろうか。そのうちに天国からお迎えが来るのだろうとばかり思っていたのだが、一向にその気配が無い。まさか、このまま浮遊霊になってしまうのだろうか。生前と同じくこの家に住むのも、それはそれで悪くはないが、目の前に居るのに夫や娘と話す事ができないのは、なかなか辛いものがある。自分が今どういう状態なのか、いつまでこのままなのか、誰かに質問したくても訊く相手が居ないのだ。この世に特別な未練も無いのに、どうしてお迎えが来ないのだろうか。どうにか夫や娘と会話ができないかと色々試してみたが、やはり私の声は彼らに聞こえないようだ。そういえば、テレビで時々みかける太った霊能者は、霊と会話ができると言っていた。ああいう類の人を連れてきてもらえないかと誰かに頼んでみようとも考えたが、そもそも私の声が誰にも聞こえないのだから、頼みたくても頼めない。私は諦めて、暫くはこのまま緩慢な日々を過ごす事にした。時々ふらっとご近所を徘徊する程度で、あとはただただ夫と娘を眺めながら過ごす毎日ではあったが、こうしてゆっくり二人を眺めていた事など生前はほとんど無かったので新鮮だったし、言いようのない幸福感を味わえた。
窓から見える大通り沿いに桜の花が咲き始めた頃、ふと、そういえばもうすぐ結婚記念日だなぁと思い、ぽつりとそう呟いたその時、目の前でコーヒーを飲みながら手帳を眺めていた夫が、
「もうすぐ結婚記念日だねぇ」と呟いた。以心伝心。さすが我が夫だ。その調子で私の声も聞こえてくれればいいのに。
夫が娘と一緒に夕食を食べている時、「来週の水曜日は、ちょっと仕事を休んで出かけてくるよ」と娘に話し掛けた。娘と私は同時に壁掛けのカレンダーを見やった。来週の水曜日。私達の結婚記念日だ。娘も察したように「うん、わかった。帰りは遅くなるよね」そう答えた。
結婚記念日は、毎年二人でお決まりの場所へ行き、デートをしている。今年は夫ひとりであそこへ行き、私との思い出に身を委ねようということだろうか。
お決まりの場所とは、大学時代に夫が私に交際を申し込み、交際からまる三年の日にはプロポーズをしてくれた場所だ。交際開始記念日であり、プロポーズ記念日であり、結婚記念日でもあった。この日、この場所で過ごす事に意味があったし、何より私達はその場所がとても好きだった。
結婚記念日の今日、私は夫について行く事にした。会話はできないが、毎年欠かさずしてきたデートだ。夫ひとりで行かせるのはあまりにも切なかった。電車に二時間乗り、さらにバスで三十分のところにあるのは、夫の生家だ。もう随分古くなったログハウス調の一戸建てには、夫は高校を卒業するまでずっと住んでいたそうだ。湖の目の前に建てられているその家は、夏は涼しく、とても居心地が良い。もう古い家だし住むことはないが、こうして時々訪れては手入れをして、別荘として利用している。