7月期優秀作品
『ボロ家とせっけん』村崎えん
私が育った家はボロ家だった。
友達の家はみんな二階建てなのに、うちは平屋建て。三角の屋根は赤茶の塗装が剥げていて、玄関の扉からはギイギイと変な音がした。すぐ近くには小さな子どもが集まる公園があって、そこで遊ぶ純粋な子どもらは、うちを「お化け屋敷」と呼んでいた。思ったことをそのまま言えるのは子どもの特権だ。だからうちは、子どもだろうが大人だろうが、誰の目からも「お化け屋敷」だったんだろう。
私だってそう思っていた。抜いても抜いても生えてくる雑草が家の周りを取り囲み、昼でも何か出るんじゃないかってくらいに陰気な雰囲気があった。玄関の扉だけじゃなく、床も廊下もギイギイ鳴るから、夜なんか怖くてしょうがない。新築のおしゃれな家や、古くても木造で立派な雰囲気のある家が建ち並ぶ中に、ぽつんと、申し訳なさそうに佇む我が家は、お世辞を言おうと思っても褒めるところが見つけられない。怖いっていうのはもちろん、それ以上に、住んでいる私にとっては恥ずかしい家だった。
父がいなくなったのが四歳のとき。普通に、いつも通り、仕事用の作業着を着て「行ってくる」って出ていって、そしてそのまま帰ってこなかった。父がなんの仕事をしていたのか、子どもだった私はよくわかっていなかったけど、母曰く「道路の白い線を引く仕事」で、帰ってこなくなった理由は、「白い線を、外国の、遠い遠いところまで引きに行っているから」だった。子どもだった私はそれをそのまま信じ、父を立派だとさえ思った。だって外国の道に白い線を引くなんて、すごいことじゃないか、って。
父と母と、二つ下の弟と、私の四人で住んでいたマンションの家賃は父が蒸発してすぐに払えなくなった。そこだってかなりのおんぼろ物件で、家賃は安かったはずだ。だけど父がいなくなって、それさえも払えなくなって、母と弟と私の三人は、「お化け屋敷」に引っ越した。
友達に家を見られるのが本当に嫌だった。学校の怪談とか七不思議とか、そういうのを本気で怖がって本気で信じる年ごろだ。近所で有名なあの「お化け屋敷」に住んでいるなんてことが知れたら。考えただけでゾッとした。
だけどいくら隠したって、バレるものはバレる。仲良くしていた友達が心底不安そうな表情を顔面に張り付けて、
「あのお家に住んでるの?」
って訊いてきたときは心臓が止まるかと思った。「そんなわけないじゃん」って答えたけど、多分ウソだって気づかれていたと思う。それからあまり話してくれなくなったし、仲良くなかった子たちからは「お家どんなとこ?」ってストレートな質問をされるようになったし。クラスの中で相当な噂になっていたんだと思う。
なんとなく嫌煙される存在になったことは自分でも理解していたけど、家コンプレックスのせいなのか、私は、他の子の家がどんなのだか知りたくてたまらないという衝動を飼うようになっていた。普段の遊びには誘ってもらえなかったから、小学生の人気行事、お誕生会に無理やり参加しては色んな家を見て回った。
見たって落ち込むだけなのに、私は自分で自分を苦しめるのが好きなのかもしれない。だけど見ずにはいられなかった。当たり前に、どの子の家も私の家より立派だった。お母さんたちが、「散らかってるけど」とか「狭い家でごめんね」とか言うのが、子どもながらに腹が立った。みんな、こんなにいい家に住んでるくせにって、完全な僻み根性が形成されていった。
母は一日中働いていた。あんなに働いても「お化け屋敷」から引っ越せないのは、うちが貧乏だからだと知っていたけど、母は「貧乏」って言葉を使わなかった。思えば私がお誕生会狂いになっていたのだって、母はやめて欲しかったはずだ。だってその度にプレゼントを用意しなくちゃいけないんだから。だけど母は嫌な顔ひとつせず、プレゼントを買うためのお小遣い、五百円を持たせてくれた。ちゃんと挨拶と、「おめでとう」を笑顔で言いなさいって。
ボロ家の雰囲気を増しましにする雑草を、母は「夏は日陰になって涼しくていい」と言った。冬はどうだと訊いたら、「雑草の中にドクダミやヨモギも生えている。ドクダミは薬になるし、ヨモギは食べられる」って。ギイギイとなる扉や床は「泥棒が来たら一発」で、建て付けの悪い襖は「これで丁度いい」だった。
母がそんなことを嬉しそうに言うものだから、私もだんだんと、「お化け屋敷」を「お化け屋敷」と思わなくなってきていた。これが我が家だって、受け入れるようになっていた。
それでも、どうしても怖かったのはトイレ、トイレというか便所。和式便器がぽつりとあるだけの薄気味悪い便所。木の扉は例に漏れずギイギイだし、明かりが薄暗くても怖い、明るすぎても便所内の細かいところが見えすぎて怖い。小さなタイルが敷き詰められた床と壁も嫌だった。タイルの目地にこびり付いた汚れとかが、どうしても受け付けなかった。母が一生懸命磨いてくれていたけど汚れは落ちなくて、それが気味悪かった。