7月期優秀作品
『幸』一賀
恋人に振られ、無職になり、東京から実家に引っ越してきて3ヶ月が経った。
私はまだ何者でもない。
「まんまぁる~まんまる~きれい」
庭に耳の奥が少しツンとするような弾む声と一緒にシャボン玉が飛んでいる。たくさん。ショッキングピンクの容器を手にして、反対の手で黄緑色をしたストローを口にやって、思いきりフーフーやっている。
私の妹、愛実(まなみ)の娘。姪。そう、姪の「命(めい)」ちゃん。
陽射しに照らされてキラキラしながら、シャボン玉はふわふわ浮かぶ。めいちゃんは、自分でシャボン玉を作り出しては、少しすると大人しくただシャボン玉の行方を目で追っていた。すぐに割れてしまうものもある中、いくつかは割れずに屋根の方まで上がっていった。それがどこまで飛んで行くのかが気になるのだろう。
「めいちゃん、いくつになるんだっけ?」
私はそんな光景をただぼーっと見つめながら、大して興味のないことをぽつりと聞いた。
めいちゃんは律儀に両手に持っていたシャボン玉の道具をその場に置いてから、3本の指を立たせて見せる。
「そっか、もうすぐ3つかぁ」
「サチおねえちゃんは?」
私はめいちゃんの方に掌を大きく広げて見せた。3と5が並ぶ。
めいちゃんも社交辞令で聞いてみただけなのだろう。分かったとも分からなかったとも受けとれる「ふ~ん」という声を出した。
その直後である。
「あああああああああああ!」
めいちゃんのキンキン声をすぐ傍で浴びせられた私の心臓がはねた。
雷鳴。地響き。世界の終わり。地球がひっくり返る。
そんなワードが頭に浮かんでしまうような叫び声に何事なのかと、めいちゃんを見ると、丸い目から今にも涙が零れ落ちそうだった。
「きゅ、急にどうしたの!?」
「あれ」
めいちゃんの人差し指の先を追うと、屋根より高く上がっていた最後のシャボン玉が割れてしまっていた。
「なにー大きい声だして」
愛実が縁側から顔を出すと、めいちゃんはパタパタと駆け寄った。
「ママーまんまるこわれたなくなっちゃった」
「んー?」
と少し困り顔で私にアイコンタクトを取りながら、慣れた手つきでめいちゃんをひょいと抱き上げた。背中をトントン。
「もうすぐご飯だよ~今日はおばあちゃんがご馳走つくってくれたよ~めいちゃんの好きな甘いカボチャもあるよ~」
「ふふふ」
とめいちゃんは妹の胸に顔を埋めながら笑った。すぐに機嫌をなおしてくれたようだ。
「あ~鼻水つけないでよね~」
「ママいいにお~い」
妹が優しいお母さんの顔をしている。それが少しだけ羨ましい気持ちになる。
「めいちゃん、もっと居ればいいのになぁ」
と父が老眼鏡をして新聞を読みながらつぶやく。
「そうねぇ。急に静かになっちゃって」
と母が頷く。
妹とめいちゃんが帰ってしまうと、当たり前だけれど家には父と母と私の3人になった。
「結婚」「子供」「仕事」「親孝行」「実家」……