昨晩、風呂からあがった七海が洗面台の前に立ち、横の小窓のほうに目をむけると、そこには姉の髪を離れた、猫の飾りのついたヘアピンが置いてあった。七海はすかさずヘアピンを手にとって、自分の髪にとめた。そして洗面台の鏡に映る自分に向かって、
「あら、おねえちゃんよりわたしのほうがよっぽどお似合いよ。オホホホ」と、茶目っ気たっぷりに笑った。このままコッソリだまってもらってしまおうかとも一瞬思った。と、おねえちゃんの顔が胸に浮かんだ。おねえちゃんがこのヘアピンを大切にしていることを良く知っている。おねえちゃんのことは嫌いでない。と言うより実は大好きだ。七海は自分の髪からヘアピンをは外した。と、その時、
「あっ!」猫の飾りがヘアピンから外れた。
「どうしよう?」と、とっさに七海の口を出た。
思わずパジャマのポケットにヘアピンと外れた猫の飾りをいれ、彼女は自分の部屋へ早歩きに急いだ。自分の部屋のドアを開け中へ入ろうとした時、となりの姉の部屋から、
「七海お風呂出たの?」と声がして、胸をどきりとさせた。
「あ、う、うん。出たよ」ついぎこちなく応えると、
「じゃあ次わたし入ろうっ」
姉の、自分に向けたような独り言のような何気ない言葉が、その時の七海の耳には優しく、そして悲しく響いた。
勉強机の上に置いたヘアピンと外れた猫の飾りを、七海はまんじりと見ていた。
「おねえちゃんごめんね」自然と小さくつぶやいた。目に涙がたまって彼女のまだまだ幼い頬を流れた。
正直に話して謝ろうか。知らないと口をつぐんでいようか。二つの考えがいくども七海の頭を低回した。まだ終えていない宿題も手につかなかった。そのうち考えに疲れ、知らない間にベッドの上ごろりと寝てしまった。
朝になりヘアピンを知らないかと姉が母親に聞いていた。こわしてしまい、今自分の机の引き出しの中にしまってあるとは、とても言いだせなかった。
「ななちゃん元気だして。誰だって宿題ぐらいたまには忘れるよ。先生もあんなに怒らなくてもいいのにね」
先生に叱られしょんぼり席に座る七海に気づかい、クラスメートのユキちゃんが心配そうに声をかけた。
「う、うん…」とはっきりしない七海にユキちゃんは続ける。
「朝からずっと元気ないから心配してたんだよ。どうしたの、なにかあったの、だいじょうぶ? 」
「うーん」と、やはり七海はぼんやり応える。そして、
「えっとね……」そう言ってから勇気を出し、おねえちゃんの大切にしているヘアピンをこわしてしまい、勉強机の引き出しにコッソリ隠していることを、ユキちゃんに話した。
「そうだよねぇ、なかなか正直に言えないよねぇ。だけどちゃんと話してあやまったほうが絶対に良いよ。ななちゃんのおねえちゃん、きっと許してくれると思うよ」