小説

『風が吹くとなぜ桶屋が儲かるのか?』あまりけんすけ(浮世草子『世間学者気質』)

 そこは春の嵐のような強風が吹き抜けている昭和初期の甲州街道八王子の町はずれ。その街道沿いに昔からの桶屋が店を開けていた。
主の庄三は四十がらみの腕のいい職人気質の男だが、少しばかり気難しい。良くいえばいろんなことに気が付く理論派とでも言うのだろうが、時と場合によっては誰もが納得するようなことでも気に入らずに御託を並べたりする。もっと若い頃は分かりのいい素直さがにじむ好青年であったのだが、四十を過ぎたころから何故か理屈っぽい分からず屋の中年男になっていた。

 先日もこんなことがあった。
 その日はことのほか風の強い日で、庄三の女房がよせばいいのに「風が強いこんな日は桶屋が儲かるんだっけね・・」とか唐突に言うもんだから、さも『さあさあお前さんも気張ってお金儲けしておくれよね!』と庄三には聞こえたらしく、途端にむくれて突っかかった。
「なに、風が吹けば桶屋が儲かるんだと? なんだか胡散臭い話だ。お前は一体誰からそんな話を聞いてきたんだ?」
確か子供の頃に父親からそんな話を聞いたような気もするし、実際、風が吹いて桶屋が儲かるなら庄三としても何も悪い話ではないが、そこにどんなつながりがあるかなど、今になってはとんと覚えていない。
 何日か前には春一番が吹いたり、このところ風の強い日が多い。仕事の方はぼちぼち注文も入ってくるが、ただもともと季節の変わり目などでは葬式が目立つものだし、風が吹いたことが桶屋の仕事に関係しているなどとは思えない。庄三の疑問はいよいよ膨らんできた。
 こうなると居ても立ってもいられない。もともと庄三という男はただの風変わりな分からず屋ではない。疑問があれば自分なりに納得できるまで調べてみたりする。学校の先生に聞きに行ったり本屋で立ち読みしたり・・庄三のそんな熱心さは生来の真面目さからくるものであった。
 このときも庄三は頭をかしげながら向かいの床屋の御隠居を訪ねた。
「なになに、風が吹くと桶屋の商売に都合がいい? その話ならこうだよ。まず何かの調子で大風が吹くと目にゴミが入ったりする。それで目を患って失明する者が増えると、生活のためということで三味線弾きが増える。その三味線の皮を張るために猫が沢山殺されて、猫がいなくなれば鼠の天下。鼠が増えて一斉に桶をかじるもんだから、桶に穴が空いてそれをなおすのに桶屋が繁盛する・・と、昔の落語にはこんなのも有ったらしいが、だが私の考えは少し違う。猫がいなくなって鼠が増えるまでは同じだが、その鼠が元で疫病が蔓延してそこらじゅうで死人が増えるもんだから、葬式が増えて棺桶屋が忙しくなって・・だから桶屋が儲かる・・と、因果の小車はこんな風に面白おかしく廻るっていう話さ」

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