子供の頃、指でつまみ上げようしたら、葉にぴと~っとくっついていたカタツムリのように、汐穂(しほ)の身体はベッドに密着し、沈み込んでいた。昨日は完全に飲み過ぎた。水を取りに起き上がりたいが、それもこれもとにかく億劫で、うつぶせのまま顔だけを横に向けて、腰窓の外に咲く見頃を過ぎた紫陽花を眺めていた。どの葉にもカタツムリはいない。
だいぶ長いこと、この体勢でいたのだろう。枕にあたっている片方の頬だけが吊り上り、首元はロックされたように固まっていた。ムグゥ~っと顔を反対側に向けると、ぼんやりと目に入ってきたのは、汐穂の顔を真っ直ぐに見つめる、青年の顔だった。
「ねえ、ヒツジの絵を描いて」
汐穂は飛び起き、手さぐりでメガネを探しながら、同時に、「ああそうか、昨日の飲み会で一緒だった他大学の男子の誰かなんだ」と想像した。何といってもとにかく昨日は飲み過ぎたのだから。メガネが見当たらず、目を細めて見直すと、その青年は、金色のカツラを被り、薄緑色のつなぎのような服を着て、赤い蝶ネクタイを結んでいた。およそ学生らしからぬ服装だ。きっと衣装のままなのだ。司会か余興か何かを担当していたのだろう。なんせ学生ばかり200人も集まる飲み会だったのだ。それできっとこれは罰ゲームか何かで、酔った女子を送り届けることになったとかで……。すると、目の前にいる青年は繰り返し言った。
「ねえ、ヒツジの絵を描いて」
スケッチブックとペンを差し出している。どこかで聞き覚えのあるセリフのようにも感じたが、急に起き上がったため、右に偏っていた脳みそが徐々に定位置に戻っていくかのような、どんよりとした頭痛があり、それが思考を邪魔していた。
「わかった。すぐに描くからお水持ってきてくれない?冷蔵庫にあるから。あ、キッチンは、出て左の奥ね。」
汐穂は大学でアニメサークルに入っている。イラストを描く機会は多く、頼まれたとしてもさほど可笑しな話でもない。きっとまた、何かの余興に使う絵なのだろう。おそらく彼は友達が山ほどいて、女子の家に飲んで泊るなんてことは日常茶飯事で、学生生活を思いきり謳歌できる種類の人間なのだ。こういった男子は女子のとりまきも多いに決まっているから、誤解のないように穏便に事を済ませなければならない。汐穂は、スケッチブックにヒツジの絵を描きながら、昨日のことをできるだけ思い出そうとしたが、彼のことは何一つ覚えていなかった。