ドアベルが鳴れば「いらっしゃいませ」と笑顔で迎える。「ありがとうございました」と送り出す時には、そのお客様の表情を、来店された時よりも明るく、華やかに、幸せ溢れるものにすることが私の役目だ。
金曜日の夕方にかかってきた予約の電話は、幼い頃からの常連客である福岡舞ちゃんからだった。しかし、いつも聞きなれたはずの声は、最初誰だかわからないくらいに細く震えていた。私は受話器を握る手に力をこめて、その声に耳を傾けた。
消え入りそうなその声は、電話だと余計聞き取りづらい。舞ちゃんも深く事情を話そうとはしなかったから、「明日の土曜日、午前十時」という予約だけ取って、電話は切られてしまった。次の日になると舞ちゃんは予定通りの時刻にやってきたが、その表情は今まで見たこともないほど暗いものだった。
「いらっしゃいませ、舞ちゃん」
少しかがんで目線を合わせる。昔から見てきた舞ちゃんは、もちろん身長は伸びたけどまだまだ子どもだ。女性にしては背の高い私は、膝を曲げないと俯いている舞ちゃんの顔を覗くことができない。
「こんにちは、杏菜さん」
無理をして頬を緩めたような笑みを浮かべる舞ちゃん。そんな表情を見るのはとても苦しいけど、とりあえず鞄を受け取って席に案内する。
「さて、今日はどんな髪形にしようかな?」
わざと明るい声で問いかけた途端、舞ちゃんの笑みがさっと消え、目じりが下がり、口元が緩み、我慢していたのだろう、涙が次々とあふれてきた。
「え、ど、どうしたの?」
何かつらい、苦しい、そんな原因があって髪を切りたいんだということはわかっていたけど、中学生になった彼女がこんなに泣き出してしまうとは。慌ててティッシュをさしだしても、涙は止まらず舞ちゃんの肩は大きく揺れている。
私はただの美容師だ。それでも彼女の笑顔を取り戻すためにできることがあるはず。大きく上下する肩をゆっくりさすると、しゃくりあげながらも話始めた。
「私、もう学校に行きたくない」
全く想像もしなかった内容で、さすっていた手が止まってしまう。優しくて気遣いのできる舞ちゃんは、きっと家族にもその言葉を伝えることができなかったんだと思うと胸が痛む。その瞬間、この子には今、私しかいないんだと腹をくくった。
「何でも相談いいよ。学校に行きたくないって思った原因をよかったら話してくれない?」
それはきっと、舞ちゃんがこの美容室に足を運んだ理由に繋がるはずだ。
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