―うねる前髪では仲間になれない―
せっかくあのパパがカールドライヤーを買ってくれたのに、私の前髪はみんなみたいにならない。
「毎朝毎朝よくやるわね」
ママは、思春期の娘が容姿にこだわり始めるのを微笑ましく見るように言うけれど、私が真剣だということが、これは死活問題なんだということが伝わっていないみたいだ。かなちゃん達みたいな、あのすだれみたいな薄い前髪にならないと、本当の仲間には なれない。きれいに前髪をキープできるスタイリング剤、眉毛とのバランス、切り方のコツ、雨が降った時の対応、前髪にはたくさんの話題が詰まっている。わかるわかる、と返事ができることが大事だ。スプレーで無理やり固めて細い束みたいにしてるのは私
だけだけど、それでも同じ土俵にいると信じたい。
「固まるスプレー、ちゃんとお湯でしっかり流してね」
美容院の高橋さんは私の前髪にぬるま湯をかけて丁寧にほぐしながら小さな声で言 う。タオルの下で私は恥ずかしくて涙が出そうになる。頷くのが精いっぱいだけど、耳が赤くなったりしてないだろうか。
鏡の前に座るとまたみじめだった。高橋さんはきれいな人で、鏡の前で並ぶと高橋さんとのひどい差を感じてしまう。私はただでさえ顔と髪に自信がないのに、こんな合羽に包まれて鎮座させられては美点の探しようもない。高橋さんはまじまじと鏡を見ながら、タオルで丁寧に私の髪の水分をとっていく。それだけで少しずつ乾いて、くるくるふわふわもやもやした癖毛がおでこの前に現れ始める。何とかしてほしいと喉まで出かかるけど、こんな前髪では悩んでいるという資格さえないような気がして、つい雑誌に目を落として無関心を装ってしまう。
「葵ちゃん、今日はどうしようか?」
「毛先をそろえて、ちょっと梳く感じでいいです。」
いっそ高橋さんが私の髪と顔に合う髪型をごり押ししてくれればいいのに。そうしたら、美容師さんが勝手にこうしたと言えるのに。
「下に重たさがある方がいい?それとも、全体的にボリュームそいでいく感じがいい?」
「今とあんまり変わらない感じでいいです。」
「そう?じゃ、自然に内巻きになるようにするね。」高橋さんが私の前髪をつまんで上げ下げする。
「前髪はどうしようか?」
触れられたくないことだったことが悟られないようにしたいけれど、一瞬顔を上げた ら、高橋さんが私を見るまっすぐな視線と鏡越しに目が合った。高橋さんはわかっている。私の前髪が、私の望むようにはセットできないことを。私がそれを気にしていることを。私が努力していることを。合羽の中の体が熱くなる。
「前髪も、今と同じように切ってください。適当でいいんです」
高橋さんは少しだけそろえた前髪を丁寧にブローしてから横に流して、私はそれを何でもない風にちらりとみた。
コンプレックスをコンプレックスだということができたら、それはコンプレックスではないと思う。